山の学校の勉強は、それぞれのエントリーをごらんいただくとおわかりの通り、じつにユニークです。いつも書きますが、楽しく学ぶとはふざけて学ぶことではなく、集中力を要することです。子供たちの戸外での遊びがそうであるように。
さて、今小学生のクラスの間でちょっとしたブームなのが「推理クイズ」。詳しくはエントリーをみてください。わたしはこのクイズの答えを考えるとき、実社会に出て自分自身が問題解決を図ろうと思案するときに使用する脳の領域を駆使していることに気づきます(←少し大げさな表現ですが、 笑)。
「無用の用」という言葉がありますが、わたしたちのとりくみは、けっして「何か」のためにやっているのではないのですが、そして子供たちもそれを意識することはないのですが(受験に役立つ等)、じつは長い目で見たときに、おおいに「役立つ」大切なことに取り組んでいると私は確信しています。
大前研一氏(どんな人かはググってください)の著作(「考える技術」)より引用します。
私たちは仕事の中で、あるいは社会の中で、ありとあらゆる問題に直面する。その問題を解決するために私たちは何をするだろうか。
そう、まず最初に「どうすれば問題が解決できるか」を考えるはずだ。
しかしほとんどの人は、問題解決のために何をどう考えればいいのか、その方法を知らないように見える。問題解決のための思考回路ができていないからだ。実際にはろくに考えもせず、たんなる「思いつき」でしかないことを解決策と称している場合も多い。しかも驚くべきことにそんな思いつきが仕事や経営の問題解決策としてまかり通っているのだから恐ろしい話である。問題解決の根本にあるのは、論理的思考力である。
問題解決のみならず、先見性とか直感と呼ばれるものも、実はこの論理的思考があってこそ生まれる。ところがほとんどの日本人には論理的思考の癖がついていないため、問題解決のための思考回路が抜け落ちている。
こうした思考回路の欠如は政治や経済を含めて日本の将来を危うくするし、ビジネスマン個人にとっても、それで新しい時代を生き抜くことは不可能である。