福西です。
『虚数の情緒』(吉田武著、東海大学出版会)を読んでいます。最近のスタイルでは、語学のクラスをまねて、予習範囲を決め、毎週ごとに担当の方に発表してもらっています。4月からコツコツと300ページまで読み進みました。今は無理数の項目です。
これまでをざっと振り返ってみます。
今、1に1をどんどん足していくと、自然数が生じます。(今認めたのは足し算だけです)
そして次に引き算を認めます。そして先の自然数から二つの数を取り出し、それらを引き合うと、同じ数同士ならば0が生じます。また違う数同士ならば自然数、あるいは自然数を負にした数ができます。つまり整数が生じます。そうやって、ありとあらゆるペアについて計算し、数のグループを作ります。その全体は、整数になります。
そしてその整数同士で割れば(分母に0の場合だけは除きますが)、正負の分数ができます。これもありとあらゆるペアについて、その加減乗除を実行して数のグループを作ります。その全体が、有理数です。
そして有理数同士は、どんなに加減乗除しても、有理数(これまで出てきた数)以外の種類の数が出てくることはありません。
そして、「連続」な数直線上の有理数のすき間を埋める数を無理数と呼びます。
有理数のままだと不連続なのに無理数を加えると連続になるということは、その無理数こそが数直線を連続たらしめている本質だと言えます。
この有理数全体のすき間を無理数で埋め尽くした数直線全体が、実数です。
実数は、実数同士の加減乗除のありとあらゆるパターンによって作り出される数全体です。
さらに、1と、虚数i(=√-1)を単位として、1x+iyの、xとyを実数(複素数ではありません)にして、あたかも2次元の数を一つに張り合わせたものが、複素数になります。(これはまだ先の内容になります)。
さて1から加減乗除で有理数までを作り出したのと同様に、1+√3から加減乗除で作り出した数全体はどうなるでしょうか。
これは、必ずa+b√3という種類([a, b][1, √3]’という内積で表される数で、a、bはともに有理数)におさまります。逆に言えば、1+√5のような数は決して作り出せません。これは大変不思議なことだとは思われないでしょうか。
そして、1+√3という形。これはどこかで見なかったでしょうか。
そうです。複素数と似ています。
つまり、今『虚数の情緒』で読んでいる無理数の話は、複素数の伏線でもあり、「つながっている」のです。
そしてz=x+iy(いまx,yは実数)のありとあらゆる加減乗除から作り出された数のグループは、複素数全体となり、その複素数というカテゴリーの「外に出る」ような種類の数が決して出てきません。
複素数z=x+iyはまた、オイラーの公式で、
z=reiθ=rcosθ+r i sinθ
という書き方にもなります。これも似ていますね。(それもそのはず、同じものを表しているからです)
今1+√3のような無理数を考えていることは、こうした複素数でのイメージを類推する、まさに下地となっています。
そしてさらにまた、線形代数でのベクトルの「1次独立」という概念とも合流していきます。