ことば4年生(A)

高木です。

いつもなら中也を読むところを、今日は少し趣向を変えて、谷川俊太郎を読みました。
「さようなら」という詩です。

  さようなら
  きょうたべたさんどいっち
  さようなら
  きょうあるいたみち
  ひがくれてゆく

  さようなら
  まだおこってるおかあさん
  さようなら
  もうききおえたうた
  もうすぐよるがくる

  さようなら
  きょうみあげたひこうきぐも
  さようなら
  きょうころんだわたし
  またあえるかしら

中也の詩ほどリズミカルではありませんが、リフレインとその「くずし」が独特の心地良さを生みます。
朗読した後、内容についても少し話し合いました。
今日という日について。
また、今日起こったことのすべてに、良いことや、そうでないことも含めて、「またあえるかしら」、また会いたい思うことについて。

今日の漢字の成り立ちは、「星の部」と題して、「星」と「月」を、またそれらと関連する「生」と「夕」と「明」を学びました。
「明」の日(ひへん)はもとは中国の地下住居の窓の形で、そこに射す「月」の光が「明るい」と感じられたことから「明」の字は生まれました。なぜ太陽の強い日射しではなく月の光なのでしょうか。「それが特別な光だったから」というのはM君の意見ですが、事実、その通りなのだそうです。
「古い時代の中国北部の黄土地帯では半地下式の住居が多く、竪穴を中心に作られた部屋の窓は一つであり、そこから入る窓明かりを神の訪れとみたてて窓のところに神を祀った。それで神のことを神明という。」(白川静『常用字解』)

継続して読みつづけている『トロッコ』は、主人公の良平が実際にトロッコに乗る場面にいよいよさしかかり、物語の面白さに引き込まれるようにしてM君は、かなり長いあいだ朗読することができました。ただ読むだけ読んで、物語の内容は読めているのかどうか、すこし不安になりましたが、あとであらすじをまとめてもらうと、非常に細かいところまでよく読めていることがわかり、安心しました。
最後に書き取りを頑張って、今日は時間となりました。