福西です。
今日は『モモ』の16章を読みました。その中で、モモの孤独が語られています。特に以下の箇所が印象に残りました。
孤独というものには、いろいろあります。でもモモのあじわっている孤独は、おそらくはごくわずかな人しか知らない孤独、ましてこれほどのはげしさをもってのしかかってくる孤独は、ほとんどだれひとり知らないでしょう。
モモはまるで、はかり知れないほど宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも彼女は息ができなくなりそうなのです。出口はありません! だれも助けに入ってくることはできず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべもありません。それほど深く、彼女は時間の山にうずもれてしまったのです。
「ふえつづける」というのは、「時間の花」を見た時のあざやかな記憶が、次々と新しいメロディーとして、モモの内側に何度も聞こえてくるからです。けれどもモモにはそれを話せる相手がいません。(なぜなら、灰色の男たちが手を回して、モモから友達をみんな取り上げてしまったからです)。周りに大勢の人が住んでいるはずなのに、モモは──モモの孤独とは、そういうものだったのです。
モモは、こんなことなら、「あの音楽を聞かず、あの色を見なければよかった」とさえ思いつめます。けれどもやっぱりまたすぐに、「どんな代償をはらおうと、(忘れてしまうことは)やはりいやだ」と思い直します。
授業の最後に、おまけとして、生徒たちに目をつむって想像してもらいました。
「あなたたちが目を覚ますと、目の前に岩壁がありました。ここがどこだか、それは分かりません。なぜなら、首も、体も動かすことができず、何かに縛り付けられていたからです。そして、ただ目の前の岩壁を見つめる事しかできなかったのです。・・・」
とデフォルメした感じで、例のプラトンの『国家』にある「洞窟の比喩」を持ち出しました。そして生徒たちにはその洞窟の中で、偶然、「振り向くことのできた」人になってもらい、自分が振り向いて「見たこと」を話そうとすると、「みんなが怒り出す」、そんな状況下での「孤独感」をシミュレートしてもらいました。
Ys君は振り向くと、「なんじゃこりゃー!」と驚きを表し、次に「みんなが縛られている状態をほどきたい」と言いました。でも「みんなは『何をするんだ!』と言って怒る」と告げると、「後ろにある物を前に持って来て、見せる」と。「でも、後ろにある物自体も明かりも、残念ながら、強化ガラスのケース内に入れられていて、取り出すことができません」。なら「首だけでも振り向かせてみる」とKちゃん。「けれどもみんなは、あなたの話を信じない限り、頑として後ろを向こうとしません。ましてやさっきあなたが見てきた洞窟の外のことなど、ウソだと言って逆に非難してきます」。「なら、逃げ出してやる」とYs君。「洞窟の外に出ました。あなたは一人ぼっちです。それから、どうしますか?」。「・・・」「うーん、どうしたらいいんやろうなあ」と二人。そこでぽつりとKちゃんは、「知らなくて幸せなんだったら、そのままにしておけばいいかもしれない」とも言っていました。
と、このような状況では、振り向いた人と、振り向かなかった人と、果たしてどっちが幸せなのかなあ? というのが、最後に感じたことでした。
次回は、『モモ』17章、「大きな不安と、もっと大きな勇気」を読みます。