6/10 ことば高学年(作文)

高木です。

 前回読んだ『どっこいしょ』の内容と自分の「思い違い」の体験をもとにK君に作文してもらったのですが、できたものを発表してもらうと、非常に面白いものでした。「エレベーター」と「エスカレーター」とを思い違えていたことや、それが思い違いであったと分かったときの経緯、思い違いというのは、『どっこいしょ』の「男」がそうであったように、本人にはなかなか気づかれないものだ、ということなどを書いてくれていました。
 ただ、ときおり主語が一つの文の中で重複したり、逆に脱落したりすることがあります。そこが日本語の面白いところでもありますが、また難しいところでもあるので、その点を中心に、文章の確認をしました。
 とはいえ、K君の文章には、文法的な正しさ以前に、一種独特の質感があります。「それ」がどのようなものであるか精確にここでお伝えすることができないことが悔しいのですが、あえて言うならば、とても抽象的な言い方にしかなりませんが、言葉に力がある、ということでしょうか。ともあれK君には「それ」を大切にしてほしいと思います。私も「それ」を何よりも大切にします。

 作文の清書に入るまえに、先週、質問があったものの、その場でお答えすることも調べることもできなくて、私の宿題となっていたことを、説明しました。その質問とは、「だんご」をなぜ「団子」と呼ぶのか、ということです。「団子」の由来としては、一般的には、遣唐使が持ち帰った「団喜(だんき)」から転じた、ということが言われていますが、それではK君の疑問への解答にはならないと思いました。それは「団子」の由来ではあっても、「団子」の命名の理由ではないからです。
 ではなぜ「団子」か。「団」という字は、もとは「團」と書いて、「叀(ケイ:上部をくくった袋の形)」を「手(寸)」で固めてまるい形にしたものに、さらに円形(囗)を加えた字であり、そこから「まるい、まるくあつまる、まるくかたまる」の意味になったものです。穀物の粉をこねて丸めた、あの円くて小さな食べ物を「団子」と呼ぶ理由は、ここにあるのではないでしょうか、というのが私がお答えしたことでした。「じゃあ『子』の成り立ちは? 子供の『供』は?」というふうに、話が広がって、それについては持参した白川静氏の字典で一緒に学びました。
 もちろんあまり脱線ばかりはしていられませんが、それは豊かな脱線です。そしてそもそも「本線/脱線」といったものは、大人が勝手に定義したものであり、K君の知的好奇心の前には、そのどれもが貴重な一歩に違いありません。
 そうして歩んだ道のりが、必ずK君の感性を磨き、作文表現の糧になると、私は信じています。