高木です。
今日は春学期の最後のクラスなので、最初のクラスでとりあげた中原中也の「月夜の浜辺」をもう一度読みました。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
(続きは4月10日付の記事をご覧下さい。)
M君にとっては懐かしく、T君にとっては新鮮な気持ちで朗読できたと思います。
T君はすらすらと朗読できるので、次は文節で区切って、リズムに乗って朗読することが目標です。
M君は、たった3ヶ月間とは思えないくらいに朗読が上達し、以前のM君との差は歴然でした。M君もそれは感じているようでした。こういう経験から朗読にも自信をつけていってもらえたらと思います。
詩の内容を説明すると、M君は、「このボタンは、きれいな石でもいいな」と、以前とは別のもので置き換えてくれました。
漢字の成り立ちでは、T君のお名前の字をとりあげました。自分の名前の成り立ちと意味を知ることは、子どもたちにとって興味深いことのようです。自分の名前という最もよく知っているはずの字に、意外な本義が隠されていることに驚きながら、漢字を学ぶことができました。
またそこでは、熟語も、丸暗記ではなく必然的な流れから理解することができます。たとえば「千尋」と「尋問」にはなぜ同じ「尋」という字が用いられているのか、という素朴な疑問にも、「ただそうなっているから」という知識の受動的な詰め込みとしてではなく、「ここがこうなっているから」という能動的な学びの契機として、接することができます。そしてそこから「じゃあこれはどうなっているのか」という発展的な学びの意欲が生まれるのだと思います。
『絵のない絵本』、今日は「第二夜」。ちいさな女の子の真っ直ぐな気持ちにふれる夜です。読んで、内容について話し合ったあと、少しだけ時間をとって、実際に絵を描いてもらいました。
これは自己表現でありつつ、読むことで頭に浮かびあがってくる物語の情景を再現することでもあります。純粋な自己表現というより、文字を手がかりにして風景を確認していく行為である、という点で、この絵を描くことは、依然として言葉の実践です。絵を描くためには、多くの情報を物語から読み取っていく必要があるからです。もちろん一方としてそれを言葉で表現することも必要であり、それも行っていこうとも考えていますが、まずは想像力をはたらかせて情景をきちんと把握していくことが、物語を読むうえで欠かせないとも思っています。
M君とT君は、女の子と戯れる鶏や雛を描いてくれました。まだまだ部分的な描写で、そこが全体としてどのような情景なのかが伝わりにくいものでしたが、今日のように楽しく言葉に接していくなかで、物語のセンスを磨いていってほしいと思います。
M君にとっては、同じ詩を繰り返し読む、しかも、前とは違うシチュエーションで読み返す。そこから
受ける印象が前とはまるで異なる、という経験。自信を深めた経験も含め、詩の言葉を受け取る感覚が
かくも大きく変化するのかという驚きなど、いろいろ言葉に言い尽くせぬ経験をしたと思います。