今回も資料を読んで自分ならどうするかを考えるモラルジレンマをしました。
そのうちの1つは、中学3年生のときに、吹奏楽部でフルートの難しいパートを任されてその練習ばかりしていたら勉強の成績が下がり、憧れの高校に行けなくなりそうで、どちらを取るべきか考えようというものでした。
K君の答えは「両方取る」でした。資料の本文ではどちらかを選ぶように誘導されていたのにこの答えです。このように答えたのは、身近な人たちの影響があるようです。彼の姉は実際に同じような状況にあったときに、何時から何時まではピアノ、何時から何時までは勉強と決めて両方していたそうです。また、彼の父は朝の4時から仕事をしているときもあるそうです。だからこの話の主人公も、朝早く起きるなりして両方すればよいではないかと。
もっともな意見ですが、ここで引き下がるのはおもしろくないので、食い下がってみました。そんな無茶をすると眠くてどっちも中途半端になってしまうし、ひどければ体調を崩してしまう、と。
そうしたら、部活の顧問の先生と話し合ってもっと簡単なパートにしてもらうとか、練習時間を少し減らしてもらうとかすると答えてくれました。説得力がありますね。確かに言われてみれば、無理にどちらかを選ばせようとする資料のほうが変だと思います。このように設定そのものを問うこともときには重要でしょう。
>このように設定そのものを問うこともときには重要でしょう。
まったくそのとおりです。生徒も真剣ならば、先生も最後まで「引き下がらなかった」というのがすばらしいです。やりとりを拝読しながら、彼には「生きた知恵」があり、実際的な交渉力が備わっていると思いました。一般の国語の時間に、この潜在力を十分発揮できるチャンスがあるとは限りません。もちろん別の大事なことを学んでいるためですが・・・。
今のクラスの取り組みを通じ、彼が知らず知らずのうちに、言葉を駆使して自分の信念をうまく表現できる経験を重ねていってほしいと願っています。よろしくお願いいたします。