高木です。
クラスのはじめに詩を朗読することが、子どもたちのなかでも習慣づいてきたような感触があります。交代で読んでいるのですが、「今日は僕から読みたい」と言ってくれるのが、嬉しいです。今日も金子みすゞの詩を読みました。
水と影
お空のかげは、
水のなかにいっぱい。
お空のふちに、
木立もうつる、
野茨(のばら)もうつる。
水はすなお、
なんの影も映す。
水のかげは、
木立のしげみにちらちら。
明るい影よ、
すずしい影よ、
ゆれてる影よ。
水はつつましい、
自分の影は小さい。
「影」という言葉のとらえかたが少し難しかったようです。この詩の「影」には三つの意味があります。一つ目は「人影」などのような姿や形のこと、二つ目は「月影」などのような光のこと、三つ目は光が物に遮られて投げかける影のことです。一般的に、「影」と聞いてまず最初に思い浮かぶのはおそらくこの三つ目の意味ですが、この詩では他の二つの意味がむしろ主になっています。なかなかすぐに理解することは難しいようで、それは仕方がないことなのかもしれませんが、後の理解の「種」を植えるつもりで、みんなで考えました。しかし何故「影」には姿や光といった意味があるのでしょうか。こうしたことへと興味が拓かれるようなクラスを目指したいです。
今日も絵本は子どもたちに人気の『おぢさん』を読もうと思っていたのですが、あいにく今週は図書館で手に入らず、代わりに『海辺のくま』(作/クレイ・カーミッシェル、訳/江國香織)を読みました。父親のいない子どもの白くまが、道中いろいろな仲間たちに出会いながら、最後に自分の安らげる場所を見つけるという物語です。明るい絵が印象的で、子どもたちは面白いところを見つけては、物語をふくらませていました。
山下です。
>クラスのはじめに詩を朗読することが、子どもたちのなかでも習慣づいてきたような感触があります
いつもご紹介くださる詩がどれもすばらしいです。また、授業の準備にあたり、詩の選定だけでなく、先生ご自身の解釈もご用意された上でクラスに臨んでおられるので(しかし、子どもたちにそれを意識させることはない)、子どもたちのユニークな発見、解釈を楽しみにもされる余裕が感じられます。子どもたちは、受け入れてもらえると思うと、どんどん心を開いていきます。そういったことで、上でお書きになったような「習慣」がクラスに根付いてきたのではないかと感じています。