『ロボット工作』 (担当:福西亮馬)
(ロボットに光を追跡させて、ライントレースに挑戦中)
ロボットの第一人者に、古田貴之さん(千葉工業大学未来ロボット技術研究センター所長)という方がいます。この間、その方がインタビューに答えている記事を知って、授業で輪読しました。
古田さんは幼い頃をインドで過ごし、日本に戻ってからも習慣の違いから一人でいる時間が長かったそうです。その時、親に買い与えてもらったレゴで遊んでいるうちに、次第にロボットに興味を持つようになるのですが、その頃から、鉄腕アトムやマジンガーZよりも、「それを作った天馬博士や兜博士の方が偉い!」ということを強く感じていたそうです。そして自分もいつか「ロボットを作る人になるんだ」という夢を持っていたそうです。しかしそこまでは、もしかしたら誰しも一度は思い描いたことがあるのかもしれません。
しかし古田さんが中学生の時に、大きな転機が訪れました。脊髄の病気にかかって足の筋肉が動かなくなり、車椅子生活を余儀なくされたのです。もしかしたら次は腕、そして心臓の筋肉が止まるかもしれない──そのような状況で脳裏をよぎったのが、幼い日の夢でした。その時、障害のあるなしに関らず誰もが思わず乗りたくなるような「かっこいい車椅子ロボットを作りたい」という希望が芽生えたのでした。そしてロボットが人間の形をしているかどうかよりも、「人間の役に立つかどうか」ということを強く意識するようになったそうです。その心は研究者である今も変わらず、「便利なものをこれ以上便利にしようというのではなく、不便なものを不便でなくしたり、つらいものをつらくなくしていきたい」とインタビューでは答えられています。
夢を持ち続けたおかげか、古田さんはそのあと奇跡的に回復します。そして子どもの頃の夢に向かって邁進すべく、新しいことにも果敢に挑戦して、ロボットに必要と思われる知識をどんどん吸収していきます。実際、ロボットには綜合的な知識と経験が必要ですが、なにせ当時は誰もやったことのない「変人」と思われる道だったので、人に聞くわけにもいかず、ほとんど自分で調べたり試してみるしかなかったそうです。その情熱はしかし自身の車椅子生活で感じた使命感に支えられて涸れることはありませんでした。大学に進む際にも、偏差値がいくらだからここにする、という安易な選び方ではなく、ロボットで有名な先生がいるからということを第一義に考えたそうです。今から二十年以上も前の話です。
私もそのことで、生徒たちに強く念を押しました。今は昔と違って、インターネットをはじめ調べる方法がいくらでもあり、単に大学に入るために勉強するのではなく、自分でその意味を探しながらするようにと伝えました。それは生徒たちの胸にも響いたようで、いつもと目の輝きが違って見えました。
授業では、試行錯誤を重ねながら次第に本格的なことをしています。先の図にあるように、基板にある入出力端子(導線をつなぐ穴)から回路図をたどっていくと、マイコンの16本のピンにたどり着きます。
そこで、導線をいつものように端子(穴)に挿すのではなく、マイコンのピンに直接触れさせてみます。すると、実は同じようにモーターやセンサーが作動します。それを自分の目で確認し体験した時には、ロボットの本質を見たようで、思わず感動します。というのは、私たちは普通おもちゃや電化製品というのは、必ずスイッチで動かすもの(それを触らないと動かないもの)と思い込んでいるからです。スイッチはあくまで表象装置であり、それが肩代わりしていることとは、必要な回路に電流を流すことです。つまり表のスイッチ部分を取り外しても、中で電気的に「つながり」さえすれば、同じくスイッチが入るのです。そのことを理解した時、ロボット工作はより面白さの深みを増していきます。
ロボットを進化させることは、それを作っている自分自身をも進化させることにつながります。「知る」ことは昨日とは違う自分に生まれ変わることを意味し、その手ごたえで勉強の意味がより明確になります。
「何のために勉強をするのか」というネガティブなつぶやきは、ロボット工作においてはナンセンスです。「そこにロボットがあるから」で、今している綜合的な知的好奇心の発現は、将来何かをする時において必ずやその雛形になるものと信じています。
(K君が学校の自由研究でロボット工作のことをまとめてくれました。そのレポートの下書きです。左が1ページ目で、右の二枚はプログラムの説明です。経験し学んだことを自分の言葉で咀嚼して理解しようと努めています。このあと自ら率先して清書を重ねていました。その気持を忘れず、いつまでも原点にしてほしいです。)
(福西亮馬)