高木です。
先週は作文をしましたが、今週からはまた詩と絵本に戻ります。
今日の詩は、金子みすずの「見えないもの」です。
ねんねした間になにがある。
うすももいろの花びらが、
お床の上に降り積り、
お目々をさませば、ふと消える。
誰もみたものないけれど、
誰がうそだといいましょう。
まばたきするまに何がある。
白い天馬が翅(はね)のべて、
白羽の矢よりもまだ早く、
青いお空をすぎてゆく。
誰もみたものないけれど、
誰がうそだといえましょう。
目をつむっている間に何が起こっているか、それは誰にも分かりません。詩を朗読し、意味について触れ、書き取りをした後、R君とY君はそれぞれに、「もしかしたら〜かもしれない」と想像力を自由にはたらかせてくれました。
R君は天馬が空を翔るイメージが特に気に入ったようで、天馬の物語をさまざまに展開してくれました。また、Y君が話してくれたのは、たくさんの花びらに包まれていく人のことです。そこでは人が小さくなって、たとえばフライパンで卵焼きを作っても、小さいものしかできないのだそうです。そんなことがまばたきする一瞬に起こっているかと思うと、なんだか目がぐるぐるしますね。
R君は天馬が空を翔るイメージが特に気に入ったようで、天馬の物語をさまざまに展開してくれました。また、Y君が話してくれたのは、たくさんの花びらに包まれていく人のことです。そこでは人が小さくなって、たとえばフライパンで卵焼きを作っても、小さいものしかできないのだそうです。そんなことがまばたきする一瞬に起こっているかと思うと、なんだか目がぐるぐるしますね。
今日は絵本を3冊詠みました。新しいのはアーノルド・ローベルの『ふたりはともだち』で、あと2冊は馴染みのある『そらとぶテーブル』(佐々木マキ)と『飛行機にのって』(磯良一)です。
『ふたりはともだち』の「おてがみ」という章は、実はいまR君とY君の両方が小学校の国語の時間に読んでいるのだそうです。それで、やはりといいますか、「おてがみ」を読むことになりました。結末を知っているのに、いや、知っているからこそ、もう一度読みたいと思うのは、他の2冊と同様、自然なことなのですね。
>結末を知っているのに、いや、知っているからこそ、もう一度読みたいと思うのは、他の2冊と同様、自然なことなのですね。
子どもは飽きることを知りませんね。飽きることを知らないというのは、何かすごいことだと思います。赤ちゃんも、何度も同じ事を繰り返し、何かを発見していきます。
同じ作品を繰り返し読むこと。一つは作品の魅力が前提になります。もう一つは子どもの心の柔らかさが大切になります。
作品を書いた人にとっても、子どもたちに何度も何度も読んでもらえるのは、とても嬉しいことなのだろうと思います。また、その場に居合わせる先生もきっと嬉しく感じておられるのではないかと、エントリーを拝読しつつ、いつも思います。