9/30 ことば高学年(作文)

高木です。

今日、秋学期に入ってから取り組んでいる「夏休みの思い出」の作文の、全文の再確認が終わりました。
K君の良いところは、表現力もさることながら、表現の意欲・意識が高いことです。一つの文章を完成させても、それで落ち着いて考えることをやめてしまうのではなく、もっと良い表現はないか、なにか付け加えることはないか、と常に自己確認を怠りません。
私が一つの箇所で指摘したことは、その場だけをしのぐのではなく、必ず全文にまで反映させます。ときには、私が問題ないと思っている箇所でも、K君自身が「うーん」と言って立ち止まり、「本当はもっとこんなふうに言いたいんだけれど、どう書けばいい?」と逆に訊いてくれます。
たとえばセミの羽化を見たことを書いた部分なら、羽化の様子をもっと精密に描写したい、とか、あるいは長崎のキリシタン館に行ったことを書いた部分なら、そこで見聞きした天草四郎のことやキリスト教の弾圧のことについてもっと突っ込んで書きたい、というふうに。
もちろん、そうした書きたいことを、今度はどのように制御・整理していくか、ということもまた大切な表現能力の一つです。しかし、まずはともかくも、表現したいこと表現する、ということが大前提になります。そのまま表現する、というのは、当たり前に見えて一番難しいことです。でもK君は「生みの苦しみ」を知らないかのようです。
最初に書いた文章は、こうして、赤色で埋めつくされ、ある部分はもはや原形をとどめません。