ひねもす道場の事(山びこ通信2011/11より)

『ひねもす道場の事』 文/福西亮馬

落ち葉の景色が記憶があるので、確かあれは秋から冬にかけての出来事だったと思います。私がまだ小学生の頃の話です。

当時、私は伏見の方に住んでおり、小学校の裏手に藤森神社という格好の遊び場がありました。そしてそこでは、時折、子供たちのための無料の催しがありました。近所のおじさんたちや裏手にある教育大の人たちが企画してくれていたのだと思います。参道の木陰にいくつかテントが張られ、それぞれのブースで、竹とんぼや、ブンブンゴマ、二本の糸を両手で交互によじ登る人形など、大人たちが材料を持ち寄って竹や木を使ったおもちゃの作り方を教えてくれていました。

錐で穴を開けたり、のこぎりを引いたり、「あぶないからのいておき」と言う大人たちの手つきを、「自分たちのために何かをしてくれているんだ」という期待の目で見つめていました。

その時、自分では何を作ったのかはもう忘れてしまいましたが、今でもかすかに憶えているのは、薄暗くなって一個ずつ片付けられていくテントの端で最後まで粘っていたことと、「こんなことがいつもあったらいいのになあ…」と胸の奥で反芻していたことでした。ちょうど宝の山に出会って帰るに帰れなくなった、シンドバッドのような気持ちだったのかもしれません。

もしかしたらそれは、毎年その時期になると開かれていた催しだったのかもしれません。しかし私自身の出来事としてはそれっきり、一期一会のことだったと思います。「ぼん(坊)」と言って面倒を見てくれたブースの人の顔を、当然すっかり忘れてしまいました。しかしそれでも、あの時に戻ってもしその人の顔が分かるとすれば、当時のことが貴重な経験として胸に残り続けていることを、伝えたいものだと思っています。

さて「ひねもす道場」が、いよいよ次で20回目を数えるようになりました。毎回別の手ごたえがあり、次は何をしようかと考えることは、私自身も楽しみです。また常連の子供たちがだんだん技を磨いていってくれることも嬉しいです。いつもあっという間に時間がすぎてしまいます。

そうして片付けの時間になり、ふと時折思い出されるのが、上に書いたような記憶の端々です。あくまで個人的な述懐ですが、もしこうしたイベントを何のためにしているのかと問われたら、おそらくそれは、「こんなことがいつもあったら…」と、言葉に出さずに感じていた自分の気持ちを、今でこそ代弁したいという思いがどこかで原点になっているからなのだろうと思います。

ですので、そのようなイベントを続けることができて、とてもありがたく感じています。それは参加してくれているみなさんのおかげです。次回もぜひ遊びに来てくれたら嬉しいです。

(福西亮馬)