高木です。
今日は、Y君が小学校の遠足の影響ですこし遅れてくるというので、R君と私の二人ではじめました。
以前R君がお休みだった日のY君とおなじく、今日のR君もどこかさみしそうです。
詩は、柴野民三の「秋」を朗読しました。
昼間は風に乗っかって、
夜は光に乗っかって、
花屋のお窓を、
果物を、
秋はこっそり変えにくる。
R君は、詩の意味を知ってか、いつもより朗読の声が小さかったです。Y君のいないさみしさもあるのでしょう。私も「秋」と「Y君」を想いながら、静かに読みました。
「秋にどんな花があるのか、知らへん」とR君は言います。「お花が枯れていくのかな」とも。たしかに「秋」といえば、どちらかというと「紅葉」「落葉」のイメージがあって、なんとなくいわゆる「花」からは遠いような気がします。でもそうしたイメージは大切です。「コスモス(秋桜)っていう花もあるんやで」とだけ伝えておきました。
筆写のあとに、絵を描いてもらうと、栗を描いてくれました。栗は、山の学校ではおなじみです。校舎のとなりに栗の木があって、休み時間になると子どもたちはよく栗拾いをしていました。ほとんど拾って、いまは空っぽのイガばかり転がっていますが。絵を描きながらR君は「あのクリはぜんぶとりつくさはったんやで」と言いますが、かくいうR君も、たくさん栗を拾った一人です(笑) 「秋の果物といえば栗」というイメージがR君にはあるのでしょう。楽しい記憶はのこります。
絵本を読もうとすると、教室の外から息せき切って走ってくる足音が聞こえて、でも扉の向うできちんと止まって、トントンとノックする子がいます。Y君です。これでいつものメンバーが揃いました。R君の声が活気をとりもどします。私も嬉しくなります。それはなんだかほほえましい一瞬でした。
今日の詩は短く、また朗読や筆写のときにY君もいなかったので、詩の取り組みが早めに終わりました。なので、絵本をたくさん読みました。アーノルド・ローベルの『ふたりはいつも』の「アイスクリーム」、同『ふたりはきょうも』の「たこ」、佐々木マキさんの『また ぶたのたね』、磯良一さんの『飛行機にのって』、レイモンド・ブリッグスの『さむがりやのサンタ』です。
『さむがりやのサンタ』は、Y君の提案で、サンタのセリフを三人で交替で読むことにしました。自分から「読みたい」と言ってくれるのは、とても嬉しいことです。セリフがないところも、サンタの動作にあわせて「(サンタがサンタ服を着るときに)よいしょ」とか、「ガラガラ」(サンタが石炭ストーブに石炭をくべる音)とか声に出してくれます。
Y君が持ってきてくれる『さむがりやのサンタ』は、おもえば春から断続的に読みつづけています。そして今となっては、とうとう本物のクリスマスが近づいてきています。季節の移り変わりを感じるとともに、子どもたちの変わらない物語への愛着に、なんというか万感の思いです。クリスマス直前のクラスでも、『さむがりやのサンタ』が読めればいいなと思います。
友だちを想い、季節を感じる心がいっぱいつまった一時間でしたね。
子どもたちもいつか大人になり、同じ絵本を開く日がくると思います。たくさんの思い出が蘇ることでしょうね。