1214 英語講読(J.S.ミル『自由論』)

4章の続きです。

 

大きな流れを追いつつ精密に読んでいます。ここでは大きな流れをおさらいしておきます。

 

4章では社会が個人に及ぼす権力の限界が問われます。基本原則は、他者を侵害しない限り個人の行動は自由だというものです。

 

もしある個人が他者を侵害しないけれども他者を不快にさせるような行動をすると、その人は嫌われて社交から遠ざけられるので事実上の不利益を被ります。こうした個人が被る不利益はこれだけであって、社会がさらなる罰を与えたりすべきではないとミルは主張します。

 

このように個人の行動が他者を侵害するものとしないもの(その人自身にしか関わらないもの)に二分されますが、いくつかの反論が想定されます。ミルは以下の4つを挙げます。

 

  1. 他者を侵害しない(自分自身にしか関わらない)とされる行動も、その人の近くにいる人を間接的に侵害する(例:浪費をするとその人の扶養家族が困る)
  2. 他者のお世話になることで社会全体の損失になる(例:不摂生で病気になると医療費がかさむ)
  3. 悪い例を示すことでそれを模倣する人に悪影響を及ぼす(例:違法薬物を摂取する人を見て誰かが真似をする)
  4. 子どもは自分自身を侵害しないように保護しなければならないのなら、大人でも判断能力のない人は保護しなければならない(例:意志の弱い人)

 

かっこ内の例は私が現代的な用語で記述しましたが、ほぼ同じことがミル自身によって述べられています。それくらい現代でも通用する議論です。その想定される反論に対しては次のように応答されます。

 

  1. あくまでも他者を侵害するかしないかで区別する(浪費自体は他者を侵害しないが、扶養義務を怠ることは他者を侵害する)
  2. 社会全体の損失は仕方ないと割り切る(かさむ医療費よりも健康的な生活を強制されることの害のほうが大きい)
  3. 悪い例は報いも含めて示されれば問題ない(違法薬物を摂取して苦しむ人を見れば真似をしない)
  4. 教育をきちんと行う(教育で人間は向上する)

 

そして何より、社会が何らかのことを強制するとすれば、その強制は拡大しがちであることが、自由を支える論拠とされます。