高木です。
今日の詩は、金子みすずの「不思議」です。
私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。
私は不思議でたまらない、
青い桑(くわ)の葉たべている、
蚕(かいこ)が白くなることが。
私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。
私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。
朗読のあと、詩の意味を考えていくとき、R君は、かつて自分の家で蚕を飼っていたことを話してくれました。「かいこが緑の糸をはいたら、すごい変な服になるな」とも。
またY君は、なぜ不思議なのかが分かると、一段落ごとに「おぉ〜、たしかに」とうなずきます。とくに黒い雲から銀の雨がふることが不思議だったようです。そもそもY君は「雲」が好きなのだそうです。長い口をもった「ワニの雲」、前肢をあげた「恐竜の雲」、うつむき加減の「天使の雲」など、いろんな雲をY君は知っています。
今日は、かねてからR君とY君からリクエストのあった絵本が手に入ったので、それを読みました。
『王さまと九人のきょうだい』(中国の民話)はR君のリクエスト。九人の兄弟が力を合わせて悪い王を倒します。彼らは、外見はそっくりですが、それぞれに特別な能力を持っています。王さまが出すさまざまな困難を、兄弟は入れ代わりながら乗り越えます。とても感動的なお話でした。R君は「あ、もしかして次は◯◯(兄弟のうちの一人の名前)?」と言って、次のページを予想しながら読んでくれました。
Y君がリクエストしてくれていたのは、『メグとふしぎなたまご』(ヘレン・ニコル/作、ヤン・ピエンコフスキー/絵)です。これはなんというか、とてもY君らしい、Y君が好きなのがよく分かる、そういう楽しい絵本でした。その絵も、いつもY君が描く絵にそっくりでした。Y君の豊かな発想の源の一つを見させてもらったような気がしました。
「不思議」は、「たしかに、なるほど!」と思える詩ですね。身の回りの「あたりまえ」を「有り」「難い」ことと見つめ直すきっかけを与えてくれます。エントリーを読ませていただきながら、子どもの自由なコメントが楽しく、このようなつぶやきや発想の豊かなひろがりをきちんと大人が聞き、受け止めることが大切なのだろうと感じました。学校だと、なかなか人前で心のつぶやきを披露することは勇気が要ると思いますし、先生も授業のペースがあるため、また、生徒の人数も30人前後いるため、対応しきれないのだと推測しますが、有る意味、もったいないことですね。
私も金子みすずのこの詩は大好きです。とくに最後のフレーズの五七調がしっくりきて何度も味わい深いです。
私はいつも思うのですが、金子みすずのように、大人であってかつ子どもの目線で書くことができる人は、すごいなと尊敬します。というのも、子どもは子ども時代の当事者であるがゆえに離れて書くことができず、大人は逆に書く力があっても思い出すことが困難だからです。だからlこそ、それは──常に生まれてくる子どもたちの(ために大人が書き残した)本は──かけがえがないと感じます。
Y君、R君が、いつか大人になって、あるいはその途上で、今の自分の読んだ本の思い出を振り返る時が来て、何をその時夢中になって話していたのかが、記憶の中に、またもしこのブログを見つけることができたら、あの時の(つまりこの時の)高木先生の声と共に、「あれ」が「これ」として蘇って来るだろうと思います。そのことが将来の力にできることを願っています。