高木です。
今日朗読した詩は、佐藤義美(よしみ)の『おぼえてる』でした。
川べりの
草道の
草の匂をおぼえてる
草の上まで
水がきて
川いっぱいの朝の陽も
水を離れた
水雉子(みずきじ)が
お空にあがる時の虹
肢(あし)のあいだの
ちいさい虹を
私は今でもおぼえてる
虹は空中の水滴に光が屈折することで生まれます。水雉子の肢のあいだの小さい虹は、飛び立つときの水しぶきによって生まれたものでしょう。
でも私は、水雉子の羽が虹色に見えるというT君の言葉も素敵だと思いました。それは詩には書かれていないし、実際理屈も通りませんが、そのぶん詩的だと思います。
M君は「相棒」という言葉が好きなのだそうです(好きなテレビドラマのタイトルだそうです)。「想」という漢字の成り立ちを知るために、まず「相」について学んでいると、その「相棒」という言葉まで含み込むような成り立ちが潜んでいることが分かりました
「相」は、「木」を「目」で見ている形です。自然(「木」)を見ることで、その生命力を自分に取り込むという考え方がかつてありました。それは自分を「たすける」ことです。またそれは自然と自分との「たがいの」交感によるものです。そこから「相」は「たすける、たがいの(に)」という意味になります。またそのような相手のことを「相棒」と言うのでしょう。
その「相」に「心」をつけると「想」です。遠くの人や物事を思い描き、自分が得た自然(「木」)の生命力をそれらへ差し向け、思い遣ること、それが「想」です。
今週は、このようにして、「『心』の部 ①」と題して漢字の成り立ちを学びました。「想」の他にとりあげたのは「心」「思」「愛」でした。
最近、クラスの前後の休み時間では、M君とT君は『ドラえもんの ひみつ道具カタログ』という本に夢中です。一ページに一つずつ、ドラえもんの道具が図と文章で紹介されています。それは(私でも)読んでいて面白いものです。まるで空想科学小説を読むように、M君とT君は一ページごとの「あんな夢 こんな夢」に胸を躍らせます。彼らの熱中ぶりを見ていると、実はこういう瞬間にこそ「楽しみながら学ぶ」ということがごく自然と行われているのではないか、と常々思っていました。
それで、今日はクラスの残り時間に、自分だけの「ひみつ道具」をつくってもらうことにしました。用紙を一枚ずつ渡し、そこに道具の図と説明文をかいてもらいました。みんな楽しそうに、でもとても真剣に取り組んでくれました。
M君がつくってくれたのは「電波たい」と「チビロボット」の2つです。「電波たい」というのは、設計図となる絵をポットに入れて、そのポットの下から出てきた立体のことです。「紙に絵を書いて色をぬり ポットにまるめていれる。そうすると電波たいがでてくる」。「絵のへたな人はようチェック」という注意書きもあります。それが電波でできているというところが、なんともユニークで現代的だと思いました。
また「チビロボット」は、面白いロボットです。ロボットなのに成長します。小学校時代から100歳までの成長図を描いてくれました。また、ロボットなのに主人を叱ります。「しかる時はオニになっておこります」。
T君は「いつでもカメラ」を発明してくれました。「このカメラに 何年何月何日と場所と時間をき入すると その時の写真がとれる。ただし30枚以上とると全てのデーターがきえる」――この冒頭に始まり、実際に「いつでもカメラ」が使われる様子が図入りで説明されていきました。時空を行き来するカメラという発想は非常に面白いと思いました。また、撮った写真が31枚目で「あれ、写真が出てこない?」という結末は、ユーモラスでT君らしいです。
チビロボットも、いつでもカメラも子どもたちのアイデアなのですか?!とてもユニークな発想ですね。どちらも「時間」がキーになっています。子どもたちの成長へのあこがれを感じます。
最初の「電波たい」からして、すごい想像の翼だなと思いました。
チビロボットにしても、いつでもカメラにしても、「落ち」がついているのがいいですね。
どれも甲乙つけがたいです。
道具の能力だけでなく、制約も一緒につけていることが、多様性を生んでいますね。
万能よりも、そうでない方に人は想像力をかきたてられるのでしょうか?
私がきっと高木先生の授業を受けていたら、家で、それ専用のノートにNo.1~No100
ぐらいまで描いてきて、見せに行きそうです^^
>それ専用のノートにNo.1~No100ぐらいまで描いてきて、見せに行きそうです^^
たしかに。たぶん、小学生の高学年の生徒も喜んでアイデアを披露してくれるでしょう。ただ、少し恥ずかしかったりします。ところが、それを受け止める先生が「すごい!」と驚いてくれるだけで、恥ずかしさは吹っ飛ぶように思います。こういうアイデアは頭が空っぽになるまで出せるだけ出し尽くしたいですね。
>チビロボットも、いつでもカメラも子どもたちのアイデアなのですか?!とてもユニークな発想ですね。
>最初の「電波たい」からして、すごい想像の翼だなと思いました。
ほんとうに、次々と発想がわきでてくる彼らには、いつもながら驚かされます。
さいしょM君が「電波たい」と紙の右端に書き付けたときには、私にはその後の展開が全く予想もつきませんでした。彼らの自由な発想の飛翔を目の当たりにできることに、ある種の感動を覚えています。