1/30 ことば4年生(A)

高木です。

今回のことば4年生(A)は、生徒の事情から、金曜日に行いました。
詩は、下田惟直(これなお)の「青い散歩」です。

  それはある夜の
  夢でした。

  あなたとふたり
  手をくんで
  おおきなピアノの
  鍵盤(キイ)の上(へ)に
  たたずんでいる
  夢でした。

  青いひかりに
  ぬれながら
  ふたりあゆめば
  そぞろなる
  歩調につれて
  こころよく
  ピアノの鍵盤(キイ)が
  鳴りひびく

  とてもきれいな 夢でした。

この詩には、ピアノのキイの上を軽やかにスキップしていくような、どこか清涼な流れが感じられて、朗読にはもってこいだったように思います。七・五のリズムが心地良く、詩の長さを感じさせません。M君もT君も、回を重ねるごとにすらすらと、うたうように読んでくれました。

漢字の成り立ちは、「門」の部の前半でした。

普段なにげなく使っている「問」や「聞」といった字が、どういう由来を持っているのか、ということを一緒に考えていくと、自然と古い文化の根底に触れていくことになります。漢字というものが、実は成立した当時の信仰や風習と切り離せないことが分かります。

今日は、これまでこのクラスで学んできた漢字の要素と成り立ちのセンスを応用して、まだ小学校では習っていない漢字の成り立ちを類推することにチャレンジしてもらいました。T君とM君は、それぞれのしかたで、とても熱心に取り組んでくれました。

T君は「闘」について、「たたかう」という意味と「豆」と「寸」を見て、「「豆」は「たて」のかたちで、「寸」は「けん」のことかな」と言って、「でも「けん」っていうより、あれ、なんやったっけ」としばらく考えて、「あ、「ほこ」や!」と思い出してくれました。T君の直観的なセンスの良さは特筆に値します。そしてT君はそこから、「矛盾」の故事を説明しはじめてくれました。

またM君は「闇」について、私が配ったプリントの空白に、自分なりの成り立ちの図を丁寧に描いてくれました。暗闇の中からただ音だけが聴こえるとき、その音は「門」とどう関係しているのでしょうか。こう問うとき、自分の想像したことが客観的にマルであるかバツであるかは、さして問題ではありません。M君のように、そのことに思いをめぐらす熱心な姿勢こそが大事だと私は考えます。

残りの時間で、今日も「ひみつ道具」作りに取り組みました。
二人とも、先週の時点では制作途中だった道具と説明文を完成させてくれました。

M君が作ってくれたのは、〈動物子どもねんど〉です。
「動物ねんど」があって、それを好きな動物に造形します。「命ショック」という装置でそれにショックを与えると、生きた動物としてうごき出すのだそうです。「命ショック」にきちんと電源コンセントがついているのが、抜かりないです。
これまでM君が作ってくれたものを振り返ると、「生命」に関するものが多いように思います。そこにはM君の、生命にたいする憧れと、あたたかい眼差しが、一貫しています。
またM君は、次の道具を作りはじめてくれています。これは例によって、完成するまで「ひみつ」です。

T君が作ってくれたのは、〈ねんどペット〉と〈仲間ガン〉です。
〈仲間ガン〉は、「ガン」なのに、それを撃った相手と仲良くなれる、という、逆転の発想の道具です。世界中の銃がこの〈仲間ガン〉だったら良いですね。こんな銃なら私も欲しいと思いました。
〈ねんどペット〉は、道具名だけだと、M君の〈動物子どもねんど〉と同じもののように聴こえますが、その中身には、M君がそうだったように、T君の個性がよく表われています。説明文を引用します。

  まずねんど。すきなペットの形を作る。
  そしてバランスが悪いと思った時は、
  バランスモニターでバランスをよくできる。
  そして形ができたら、色付けスプレーで色を付け、
  ペットスプレーをかければ命がたん生する。
  そして音声録音機で録音した音声を豆形テープにして、
  ねんどにうめたらその声をしゃべるようになる。

それぞれの機能が、それぞれの道具として、一対一の関係で表現されています。
T君自身が「ぼくの道具は、いつも「セット」になる」と言っていたのですが、それは、「道具」のもつリアリティをなおざりにしない彼の真摯な姿勢の表れだと思います。「道具」というものを、たとえ空想上のものであったとしても、実感に即して見ている証拠だと思います。
そうした表現力は、これからも大事にしてほしいと思いました。