高木です。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には、そのモティーフの幻想的な印象とは裏腹に、ある意味あまりに人間的な感情の揺らぎが描き込まれています。ちょっとした仕草や言葉の端に、ジョバンニの逡巡や葛藤、カムパネルラとの微妙な距離感が見え隠れします。
最初、『銀河鉄道の夜』をこのクラスで採り上げようと考えたときは、はたしてこうしたことにまで立ち入ることができるだろうかという気持ちもありました。文学作品を読みながら作文に取り組んでいくという目的のために、K君の好きな銀河をモティーフにした作品を選んだという事情もあり、もし難しいようであれば、その部分にはあまり深入りしないでもいいとさえ思っていました。
しかしK君は、やはりというか、こうした私の考えを見事に裏切り続けてくれています。今日読んだ「二、活版所」の章の冒頭、「手を大きく振ってどしどし」と校門を出て行くジョバンニの仕草を、K君は“カムパネルラをうらやむ気持ち”のあらわれとして取り出してくれました。母を助けるために小学生ながら活版所で働くジョバンニは、この日開かれる「星祭り」に、カムパネルラたちと一緒には行けないのです。
そのように書いてくれたK君をみて、“それでは”と思い、このジョバンニの仕草について、もう少し議論を深めてみることにしました。はたしてカムパネルラと一緒に「星祭り」に行けない理由は、仕事の忙しさだけだったのでしょうか。カムパネルラが自分とではなく他の級友と祭りに行く相談をしているのを見たジョバンニは、いったい何を思ったのでしょうか。議論のあとK君は、ジョバンニにはカムパネルラをうらやむ気持ちがある一方で、ある種の嫉妬心も持ち合わせていることを、作文してくれました。そうした複雑な心情が絡み合って、ジョバンニを「どしどし」と歩かせたのです。
今日はまだ第二章。銀河鉄道は夜空を走り出していません。これから先、K君がどのような文章を書いてくれるのか、とても楽しみです。
「真剣勝負」というと大げさですが、何か相撲のような取り組みを連想します。先生も生徒も一生懸命汗をほとばしらせてぶつかりあう、そういった気迫と気迫のぶつかりあいを感じます。あわせて宮沢氏の作品についても、通読したことはあっても、いったい自分は何をどう読んでいたのだろうか?と再び作品を手に取りたい気持ちに駆られました。