浅野です。
今回は絵本を学ばれている学生さんの制作の協力をさせていただきました。以前に決めた予定ではちょうど予備日で、来週から絵本作りを控えているという絶妙のタイミングでこのお話をいただきました。
何をしたのかというと、すでに絵が描かれてある絵本に、好きなように決められたことばを配置して、色を塗ったり絵を描き加えたりしました。
みんないろいろと工夫をしていて、一時間では足りず、家に持ち帰った人もいたくらいです。来週からは4回ほど絵本作りに時間を取ってあるので、思う存分楽しんでもらいたいです。そのときはストーリーやセリフも自分で考えるので、それでも時間は足りないかもしれませんが、ともかくやってみます。
>来週から絵本作りを控えている
そういっていただけてホッとします。急なお願いでしたから。京都工芸繊維大学の院生からの依頼で、「書き文字を見直す」という研究課題の一環としての「絵本作り」でした。
園児も同じことをしたんですよ。家にもってかえりたい、という声は出ませんでしたが、みな懸命にとりくんだようです。私は全部の絵を見せてもらいました。
山の学校の他のクラスでも「持って帰りたい」コールがあったようで、当初の予想をはるかに超える熱心な取り組みとなりました。
母親が我が子のために絵本を作る。恋人が恋人のために絵本を作って贈る、等、絵本を作るということは、手紙を書くことと同様、心と心が通う大切なことになるようです。
次回からの浅野先生版「絵本作り」の取り組みにおおいに注目しています。これぞ、「楽しんでことばを学ぶ」好取り組みですね。
いろいろ補足していただきありがとうございます。
「ことば」との関わりで前回に感じたことを追記します。
この絵本の大きなテーマは「なみだ」ということでして、泣く場面が何度も出てきました。自由に絵を付け加えてもいいよと言っておいたのに、みんなそのことばの世界観に合った絵を描いてくれていました。それもすでに描かれている絵を生かしつつ。
また、ことばを配列するのにも悩んでいたようです。絵本の空白部は限られていますし、書き入れるべきことばも短いものなのですぐに決まりそうなものですが、そうではありませんでした。かなりの制約がある中でことばを選ぶという作業は、俳句に通じるものがあるかもしれません。
次回からは最初から自由に考えてもらうつもりですので、俳句というよりは散文でしょう。とは言っても何らかの既存の枠組みを借りることにはなると思いますが、それはやってみてからまたご報告します。