2/17 ことば高学年(作文)

高木です。

 クラスの前半では、K君に家で書いてきてもらった作文の確認をおこないました。
 作文のテーマは、先週一緒に読んだ『銀河鉄道の夜』の第五章「天気輪の柱」と第六章「銀河ステーション」のなかから好きな場面を引用して、その場面がなぜ好きなのかを書いてもらう、というものでした。
 K君は好きな場面を三つ挙げてくれていました。
 一つ目は、ジョバンニが天気輪の柱が立つ丘の草むらの螢を見て、さっきザネリとカムパネルラたちが持っていた星祭りの烏瓜のあかりを思い出すところでした。K君はそこに、本文には明記されていない「ジョバンニの複雑な思い」を読みとってくれていました。
 二つ目は、そうした思いを抱えるジョバンニが草むらに寝そべる場面でした。「どかどかするからだを、つめたい草に投げました」という文章の「投げました」という表現に着目して、K君は「表現のしかたがすごい」と書いてくれていました。たしかに「寝そべる」より「投げる」と言ったほうが、ジョバンニのむしゃくしゃした気持ちが伝わってきます。
 K君が挙げてくれた三つ目は、草に身を投げたジョバンニが、どこからともなく「銀河ステーション、銀河ステーション」という車掌の声を聞いたかと思うと、「億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めた」ような、あるいは「ダイヤモンド」を「ばら撒いた」ような膨大な光にサッと包まれて、銀河鉄道の車内へと移行していく場面でした。「なぜなら、すごく明るいんだということがびっくりする例でよく分ったからです。ふつうは、『まるで太陽に近づいたような』という感じなのに、こんな例をする、宮沢賢治はすごいなあ、と、思いました。」
 三つともなるほどと納得させられる着眼点ばかりで、K君の「ことば」にたいする意識の高さを感じました。クラスの後半では『銀河鉄道の夜』の第七章「北十字とプリオシン海岸」から第八章「鳥を捕る人」までを読み進めたのですが、そこでK君が着目したのも、たとえば第七章で出てくる「白い十字架」を形容する「凍った北極の雲で鋳た」という表現でした(実際はその十字架の上の円光を喩えたものですが)。雲を鋳型に流してつくった十字架の、なんと美しいことでしょう!
 今日はそこから、まったくの偶然ですが、一コマ前の「ことば4年生(A)」のクラスと同じ、「雲」の話に広がりました。水蒸気としての雲と、水と、氷の関係は、どのようになっているのか、ということです。
 また別のときには、『銀河鉄道の夜』の文中にあった「蛍烏賊」という言葉について、なぜ「イカ」を「烏賊」と書くのか、という話になりました。また来週、例の字書を持参して、K君に調べてもらおうと思います。