浅野です。
前回までに必要な知識を取り入れ、書きたいことも箇条書きでまとめておいたので、今回は実際に書くところから入ることができました。
分量の指定が原稿用紙3枚以内と結構な量であり、また単に自分の体験を書けばよいわけでもなく、難しい課題だったと思います。それでもまとめておいた自分の言いたいことを全て盛り込んだ文章を書いてくれました。
こちらはそれを読み、わかりづらい箇所についていくつか質問をしました。単なる字の間違いや、「てにをは」の不備が原因の箇所もあれば、構成上の問題である箇所もありました。後者は決まった正解があるわけではなく、本人の説明を聞くと納得できる部分もかなりありました。頭ごなしの指導ではなく、こうしたやり取りができる環境(時間や人数など)に感謝したいです。蛇足ですが、こうした取り組みは現状のところ大学でもあまりできていないのではないかと危惧します。
次回は今回の質疑応答を踏まえて、改めて書いてもらいます。
>こうした取り組みは現状のところ大学でもあまりできていないのではないかと危惧します。
たしかに(苦笑)。大学は今・・・と言い訳することはいくらでもできるでしょう。
でも、次のエピソードも聞いてください。
私の卒論には先生の書き込みがいっぱいありました。引用文の行数まで、じっさいにひとつひとつ先生は自分で調べ、ミスがみつかると、それを指摘されるのでした。原文の引用ミス(綴りのミスなど)はもちろん、引用文献の引用ページのミスに至るまで!
穴があったら入りたい気持ちと、先生ってなんてすごいんだ!という感謝、感動の気持ちとがミックスされた、なんとも不思議な感情をもって、今も自分の卒論のことを思い出します(このきめこまかいチェックは、諸先輩からも同じエピソードを伝え聞いていますが、このような指導をする先生は、確かにまれなのだと思います)。
一方、浅野先生は、山の学校の少人数指導の機会について感謝したいとお書きですが、じっさいそのチャンスが得られても、そのチャンスをきちんと生かして指導できるかどうか、それは先生次第ですよね(上の卒論指導のエピソードが示すように)。
本人のやる気には先生もやる気で応える。
言ってしまえばただそれだけなのですが、それができる先生は、学校の種類をとわず、どんどん少数派になっているように感じるこのごろです。
私こそ、僥倖に感謝。