3/3 ことば高学年(作文)

高木です。

 今日はまず、先週に家で書いてきてもらっていた作文に私がコメントを付けたものを、一緒に確認しました。
 書いてもらったのは、『銀河鉄道の夜』の「七、北十字とプリオシン海岸」と「八、鳥を捕る人」を読んだなかで、一番印象に残った場面の引用と、そこを選んだ理由でした。
 K君の好きな場面は、鳥捕りが鷺をつかまえるところでした。「まるで雪の降るように」舞い降りてくる鷺を、鳥捕りは「両足をかっきり六十度に開いて」待ち構え、押さえ込みます。K君は、「鳥捕りが鷺をパシッパシッ、とつかまえているところが迫力があってとってもかっこいい」と書いてくれました。「『両足をかっきり六十度に開いて』の『六十度』というところが『かっきり開いて』よりも表現がより豊かでおもしろい」、とも。
 また、以前のクラスで、K君は、なぜ鷺は、鳥捕りが待ち構えているのが分かっているのに、そこへ降りて来るのか、と不思議がっていました。この作文では、その疑問に、鷺は「ワニがいる川をこして豊かなところに行かないといけない、ヌーみたい」なものだと、自分なりに答えてくれていました。
 またそれに加え、自分が宝ケ池にトンボを捕りに行った体験も例として挙げてくれていました。トンボは池を同じ方向にめぐり続けるから、一度逃しても同じ所で待っていればまた一周して戻ってくるという習性をお父様から教わって、トンボをつかまえたことがあったのだそうです。
 鳥捕りと鷺という、捕まえる者と捕まえられる者の関係を、「習性」という観点から捉え、それをワニとヌー、K君自身とトンボと、適切な例を挙げながら表現したK君に、とても感心しました。

 今日は、この作文を一緒に確認した後、これまでの総仕上げとして書いてきてもらった『銀河鉄道の夜』の読書感想文を、声に出して発表してもらいました。

 『銀河鉄道の夜』を最後まで読み終えたK君が最も心を動かされた場面として挙げてくれていたのは、この小説の最後、これまで銀河鉄道で一緒だったカムパネルラが、実は友達のザネリを助ける代わりに川に流されてすでに死んでいたことが了解されるところです。
 彼らは川面に映った銀河を旅していたのです。

 しかしジョバンニはそのとき同時に、カムパネルラの父親から、消息を絶っていた漁師の自分のお父さんが実は生きていて、あと数日のうちに帰ってくるだろうことを、聞かされます。
 K君は、「もしぼくがジョバンニだったら、ぽかんとすると思います」と発表してくれました。
「なぜならそこが、ぼくの中で一番かなしい気持ちと、うれしい(お父さんが帰ってくる)気持ちがかさなっているからです」。

 この、悲しみと喜びがいっぺんに押し寄せて胸がいっぱいになってしまう感覚は、実はこのクラスで『銀河鉄道の夜』の前に読んだ、野尻抱影の『赤い手鏡』のエッセイで語られていたことです。また、そのエッセイを読んで書いてもらった自身の感動体験「『ラロックの聖母』を見て」でも、K君が表現してくれていたことです。
 K君はこの不思議な繋がりを意識して書いてくれていたのです。よく練られた文章に驚き、なかなかニクいと思いました。

 そうして、K君の作文に促されるようにして、いつのまにかこれまでの作文ファイルを繰っていると、この一年間のことがいっぺんに去来して、なんだか私も胸がいっぱいになりました。ラロックの聖母、赤い手鏡、蛙の雨、道順、夏休みの思い出、リトプとアキルス、顕微鏡、自転する男、そして自己紹介。

 K君とのクラスも、今年度は今日が最後でした。
 ファイルを見終わった後に、「終わってみれば、あっという間ですね」とK君がもらしていたのが印象的でした。
 楽しい時間は早いものですが、それが大切な時間であれば、記憶にずっと残り続けます。
 またいつか大人になったK君と、この尊い一年間のことを語りあえる日がくれば、どんなに素敵だろうと、私は思いました。