4/21 ことば6年生(作文)

高木です。

(※今週のブログから、これまで下の名前のイニシャルでKe君、Ku君と表記してきたものを、読む方も書く方も紛らわしいので、苗字のイニシャルを採って、U君、T君という表記にかえることにします。)

今週はまず、家で完成させてきた自己紹介文を、口頭で発表してもらいました。
U君、T君、それぞれが、堂々と発表できていました。彼らは、発表の途中に、ときどき「しまった」という顔をします。実際に声に出してみると、おかしな文章というのはすぐにわかるからです。また、誰かに聴いてもらうということは、それだけで「客観的に見て、ここは分からないかもしれない」という審査にかけることになるからです。「しまった」という顔は、彼らが作文において、そういった高い意識を持っていることの証です。

次に、先週のブログに記したように、いま発表してもらった自己紹介文の、お互いの良い点と悪い点を、評価してもらいました。
T君はU君の文章について、「コンパクトにまとめているところが良い。締めくくり方もきれいだった。ただ、好きな教科として挙げたもののうち、音楽の説明だけが抜けていた」と評価してくれました。
U君はT君の文章について、「一つ一つのことについての説明が詳しく、分かりやすくて良かった。ただ、文中にときどき話し言葉が使われていて、それが気になった」と評価してくれました。
発表を一度聴いただけなのに、それぞれよく洞察しているなと思いました。修正すべき点については私もその通りだと思いましたし、また自分とは違う相手の文体を良い点として認めているところも、たんなる馴れ合いではないものを感じました。

それで、そうした彼らの状況を承けて、今度はそれぞれの文章を交換して、実際に赤鉛筆で書き入れながら添削をしてもらうことにしました。
T君はU君の文章について、もっぱら段落ごとに把握しながら、文章の構成について、朱を入れていました。自己紹介文という平板になりやすい文章のなかでも、山がどこにあるのかを察知して、そこを括っていたのは、さすがだとおもいました。
U君はT君の文章について、構成をとらえることもそうですが、かなり厳密に、それこそ句読点の位置にいたるまで、精査してくれました。私がかつてU君に伝えたことをきちんと踏襲してくれていたことに、去年の取り組みが彼の中で生きていることを感じました。
添削してもらった後は、それを相手に説明してもらいました。途中、U君がT君の自己紹介の中にあった「ボーイスカウト」について尋ねる場面がありました。辞書を持ってきて調べたり、実体験を話したりしていました。こうした対話が生まれるのは、良い傾向だと思いました。

今日は、お互いに相手の文章を評価してもらいましたが、なぜこのようなことをしたのかというと、文章を客観的に評価する態度を養うためです。
普段は彼らはいつも書く側でしかありません。しかし他人の文章を評価する側にまわることは、こんどは自分の文章を客観的に見るための良いトレーニングになると、私自身の去年の実経験から思ったのです。またこれは、生徒が複数になった今だからこそおこなえることでもあります。私は、自分の文章に対してどれだけ客観的になれるかが、文章をより良くするためのポイントだと思っています。極端に言えば、自分が書いた文章を、自分が書いたことをすっかり忘れて、まっさらの目でもう一度推敲できるようになれば、自分でどんどん文章を高めていくことができます。

とはいえ、やはりその評価の際の基準のようなものは、自分一人では知りようもありません。当然ながら、今日の最後は、私が各自の文章の添削を行いました。
しかし、期待通り、というか、私が一人を添削していると、もう一人もそれに参加してくれました。そして、添削されている本人も、同時に添削する側になってくれました。私が文章を読みながら、ときどき読むのを止めると、そこになにか指摘すべきものがあると気づくのでしょう、彼らが私の思考と言葉を先取りしてくれることもありました。
文章を批評する意識に芽生え、またその意識を高めることは、文章で自由に自己表現することと並んで、大切なことだと思います。

最後の添削が済むと、すでにクラスの時間が終わっていたので、今日の取り組みをふまえた清書は、来週までに家で仕上げてきてもらいます。