『ラテン語中級講読』 (担当:広川直幸)
山下先生から引き継いで,今学期から私が担当することになりましたこの授業では,ウェルギリウスの『農耕詩』を読んでいます。ギリシア文学が専門で,おまけにウェルギリウスに対して苦手意識があった私に,果たして『農耕詩』を教えることができるのだろうか,と始める前は少し戸惑いましたが,蓋を開けてみるとあら不思議,これが抜群に面白いのです。なるほど,これがラテン文学の最高峰なのだなとしみじみ実感しています。
授業の特色としては,韻律と修辞の二点に重きを置いているということが挙げられます。ウェルギリウスが用いる韻律はギリシアに由来するヘクサメトロンという韻律です。ですが,ギリシア語とラテン語はアクセントの種類が違います。すなわち,ギリシア語は高低アクセントで,ラテン語は強弱アクセントなのです。そこからラテン詩独特の韻律の用い方が発展しました。韻律の強勢と語のアクセントをずらす,あるいは一致させる。また,そういった韻律上のテクニックを文の意味内容と関連させる。重い内容の文は重いリズムで,軽快な内容の文は軽快なリズムで,というようにラテン詩には独特の韻律の用い方があるので,それらを逐一確認しています。もちろん,その前段階として,韻律に合わせた正しい発音を一行一行確認しているということは言うまでもありません。
また,修辞も重要視しています。例えばラテン詩では隠喩を用いて「海」のことを「大理石」と言ったりします。日本語に訳す場合,「大理石」としてしまっては意味不明になるので,「海」あるいは直喩で言い換えて「大理石のような海」とでもするしかありません。結果,原文の持つイメージとはだいぶ離れてしまいます。訳すと消えてしまうものを味わってこその原典読解ですから,隠喩や換喩を初めとする様々な修辞にできるかぎりの注意を払っています。
身体で感じたり,イメージを操作したりするこれらの作業は,実は大学の授業ではあまり顧みられていません。上手い日本語訳をつけるよりも,こちらのほうが本当は大切なのだと私は常々考えていたのですが,授業で実現できるとは夢にも思っていませんでした。教えている私が教えられることの多い,とても貴重な時間になっています。
(広川直幸)