5/19 ことば6年生(作文)

高木です。

今日は『あな』(作:谷川俊太郎、画:和田誠)という絵本を読んで、
その感想を書いてもらいました。
この絵本の存在は、以前、絵画クラスの健哲先生に教えていただきました。
文章はごく平易なのですが、とても考えさせられる内容なのです。
対象年齢が「4才 〜 おとなまで」とあるのは、そういうことだと思います。

あらすじは以下のとおりです。

ある日曜日の朝、ひろしはシャベルで穴を掘り始めます。
どんどん掘ります。お母さんや妹や友達が何を尋ねても、そっけない返事をするだけ。
お父さんだけは「あせるなよ、あせっちゃ だめだ」と、ひろしを応援しますが、
ひろしは穴掘りに夢中です。
そして自分の身長の1.5倍ほどの深さまで掘って、
穴の壁からはい出してきたイモムシに「こんにちは」と挨拶をしたとたん、
肩からふっと力が抜けて、ひろしは穴の底に座り込みます。
 「ひろしは あなのかべの しゃべるのあとに さわってみた。
 『これは ぼくの あなだ』 ひろしは おもった。」
この穴は、なにかのために使うものではなさそうです。
妹がお池にしたいと言っても「だめ」、友達が落とし穴にするのかと聞いても「さあね」。
ただただ、ひろしは穴の底に座り続けます。
 「ひろしは うえを みあげた。
  あなのなかから みる そらは、いつもより もっと あおく もっと たかく おもえた。
  その そらを いっぴきの ちょうちょうが ひらひらと よこぎっていった。」
その後、ひろしは穴から出ます。上から穴をのぞき込むと、そこは深くて暗い。
そして、ひろしは「これは ぼくの あなだ」ともう一度思ってから、穴を埋めます。

お話はこれでおしまいです。一読、謎のお話ですね(笑)
私が読み終えた後の、T君とU君の「え? これで終わり?」というお顔が印象的でした。
でも、だからこそ、想像力を働かせて読み解く甲斐があるというものです。
彼らはしばらくうんうんと唸ったあとに、次のような感想を書いてくれました。

T君は、このお話は基本的に謎だらけだけれど、
イモムシに出会って穴を掘るのをやめたのは、
ひろしがイモムシの「なにか」を邪魔してしまったと感じたからではないか、と考えてくれました。
もう邪魔をしてはだめだと思ったから、掘るのをやめて座り込んだのだ、と。
またその穴は「ぼくの あな」であって、放っておいて他の誰かの穴になってしまってはいけないから、
だからこそ自分で埋めたのだ、と思ったのだそうです。
「自分のあなでおわらせたいので、さいごにうめた」とT君は書いてくれています。
現実には穴は埋まってしまったけれど、ひろしの心の中には、この自分だけの場所が残り続けるという考え方は、
非常に示唆に富むものだと思いました。
T君は、他者との関係から照らし返されるひろしの感情を、このお話から読み取ってくれていました。

U君は、穴掘りに熱中していたひろしが掘るのをやめたのは、
イモムシに出会って自分の周りのことに気づけたからだ、と考えてくれました。
「ぼくもこういうところがあるので分かるのです」と、U君が自身のことと重ね合わせてくれていたのが、またU君らしく思えました。
自分の周りのことに気づいて、ひろしが穴の底から見上げた空は、「地球の中心から見ているようなかんじがした」
と書いてくれていたところは、とても詩的で印象的でした。
また、ひろしが穴を埋めた理由についても考えてくれていましたが、その視点は、T君とU君とでは違いがありました。
U君は、お父さんがひろしの穴掘りを応援していたのは、お父さんもかつて同じ所に穴を掘ったことがあるからだと、想像してくれていました。
ひろしが穴を埋めたのは、自分の子供も同じように、ここに穴を掘るからではないか、と。
作者の谷川俊太郎も掘ったことがあるのではないかと想像するU君は、
穴を掘るということを通して得られる繋がりや共感に、着目してくれていました。

今日は、感想文を書き上げたところで時間が来てしまいました。
来週は、それぞれに発表してもらい、お互いに評価しあうところから、クラスを進めたいと思っています。