『ラテン語初級講読B』 (担当:山下大吾)
前任者である前川先生から引き継がせていただいた当ラテン語初級講読Bクラスも、私が担当するようになってから既に三学期目となり、早いもので一年が経とうとしております。テクストは変わらずキケローの哲学的対話篇『友情について』で、開講以来受講されているお二方と共に、毎週楽しくも真剣な授業が行われております。一語一語キケローの言葉を噛みしめるように進んでいくスタイルは依然として変わりありません。今学期の範囲では、「目的の与格」あるいは「述語の与格」というあまり見かけない、と同時に中々興味深い文法事項が現れましたが、それが用いられた例としてOdi odioque sum Romanis「私はローマ人を憎み、また憎まれている」というリウィウスの伝えるハンニバル辞世の言葉を紹介いたしました。「ラテン語って、格言に最適ですね」とは受講生Hさんの感想です。そのほか楽しい息抜きとして、Tarquinius Superbusが現れた折には、漱石『猫』の苦沙弥迷亭両先生にご登場願い、その「七代目樽金」の講釈に耳を傾けることとなりました。
「名誉公職や国政に携わる人々の間に真の友情を見つけるのは至難の業だ」-64節で読むことになったこの言葉は、この対話篇を記していた当時のキケロー自身の状況を鑑みると、この上なく重々しく響いてきます。悲劇的な死の前年、既に崩壊の危機にありながらも、なおその理想を信じて共和制の護持に奔走していた彼は、まさに国政のただ中にその身を投じていたのです。やがて政敵アントーニウスとの衝突は避けられぬものとなり、首都ローマを避け自身の別荘に引きこもり、この対話篇を始め数々の著作の執筆に勤しみましたが、その際ラエリウスの口を通して語られたキケロー自身の慨嘆とも言っていいでしょう。
Amicus certus in re incerta cernitur「確かな友は不確かな状況で確かめられる」-広く知られる一聴忘れがたきエンニウスの章句は、上掲引用句の直後に見られるものですが、実はそのような友は極めて見出しがたいという説を固めるために引用されたものでした。しかしながら同時に、これ以上考えられない不確かな状況の中、彼が求めて止まなかったのはやはりそのような友であった、今こそ確かめられるはずだという痛ましいまでの願いがこめられた、キケローその人の叫びの声として響いてくるように思えてなりません。
(山下大吾)