『ラテン語初級文法』 (担当:山下大吾)
今学期の当クラスは、お一方の受講生を迎えて開講いたしました。このクラスの特徴である、一学期三か月間でラテン語文法の基礎を固めるという目標のもと、ゴールを目指して毎週ゆっくり急げの歩みを進めております。教科書は岩波書店刊田中利光著『ラテン語初歩 改訂版』を用い、毎回4課のペースを崩さず、これまでに第三変化の項目を無事乗り越えることが出来ました。受講生のOさんは、前回の『古典語の夕べ』に参加され受講を決意された由、講演を担当した一人として大変有難く思います。ラテン語の持つ普遍的な意義をよく理解されており、授業前にはこちらも嬉しくなるような話題でしばし盛り上がります。語形変化の多さにはやはり閉口されているようですが、勤務中も頭の中で変化表を繰り返しているという貴重なエピソードをご披露くださいました。ただし文字に関してはギリシア語と異なり馴染み深く、この点負担が少なく有難いとのご感想を頂きました。何気ないこのご指摘は、実は大事で意義深いものと思われます。
ローマ帝国というその後の西洋の潮流を決定づける国家を築き上げたラテン人は、元来その周囲をエトルリア人等の優勢な民族に囲まれた、イタリア半島の中の一弱小民族にすぎませんでした。それが今ではどうでしょう、英語やフランス語、ドイツ語など、言葉は違えど西欧の言語の文字体系はほとんどすべて、彼らラテン人が自らの言葉、すなわちラテン語を書き表すために考案した文字をその基礎にしています。体は違えど衣装は同じということになるでしょうか。
東洋の一国であるこの日本でも、Oさんの馴染み深いというご感想からも明らかなように、この文字を見ずに過ごす日など一日たりともないと言ってよいでしょう。さらには、今の私のようにコンピュータ等を使って文章を綴る場合、ローマ字変換でなければ自由にタイプ出来ない、つまり「ローマ字でなければ日本語が書けない」という事態が到来しているのです。考えると少し恐ろしいことなのかもしれませんが、これもウェルギリウスの『アエネーイス』にある言葉、imperium sine fine「際限のない支配権」の一つの顕現なのかと思うと、不思議と頷けるような気がいたします。
(山下大吾)