今号の山びこ通信(2011/2月号)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)
『ギリシャ語入門A・B』 『ギリシャ語初級・中級講読』 (担当:広川直幸)
入門の授業では,秋学期に引き続き,水谷智洋『古典ギリシア語初歩』を用いて古典ギリシャ語の基礎を学んでいる.今学期で今年度の授業は終了である.例年通り一年かけて教科書を学んだのではあるが,今学期は詳しく文法を解説する暇がなかったことが悔やまれる.四月から,また新たに一から授業を行う.一年かけて基礎を学ぶ方針は従来どおりであるが,教科書は変更する.C. W. E. Peckett, A. R. Munday, Thrasymachusという,英国で出版された教科書を用いる.今でもリプリントが購入可能である.入手に時間がかかることもありうるので,受講希望者は,ネット書店などに早めに注文しておくのがよい.
講読Aでは,J. J. Helm, Plato: Apologyを用いてプラトーン『ソークラテースの弁明』を読んでいる.1回に大体1ページ半のペースで進んでいる.内容は壮絶としか言いようがない.古典というのは敬して遠ざけられがちであるが,『弁明』はページ数が少なく,文庫本で翻訳を容易に手にすることができるので,読んだことのある人も多いであろう.それでも大意は十分に取れるかもしれない.だが,今回,改めて原典で読んでみて,どの翻訳からも原典にある凄みが感じられないことに気付いた.本当は,それこそが人を動かすものではなかろうか.古典ギリシャ語を学んだことのある人は,是非『弁明』を原典で読んで,命がけの弁論の凄みを感じ取って欲しい.
講読Bでは,今学期からトゥーキューディデースを読んでいる.古代ギリシャ語散文の中で,おそらく最も難しいものである.Jones校訂のOCTは,その序文でPowellが言っているとおり,あまり良いものではないので,この授業ではイタリアで出版されているAlbertiの校訂本を用いている.それに加えて,註釈書として,一応,H. D. Cameron, Thucydides Book I: A Students’ Grammatical Commentaryを使い,受講者一名とうんうん唸りながら読んでいる.
トゥーキューディデースの文章には文法的破格が多い.文法的に破格なので,文法的に説明しようとすると,困難に直面せざるを得ない.どうも,トゥーキューディデースには予定調和を嫌う傾向があるようである.崩しの美学とでも言えようか,シンメトリーが成立するであろうという期待を裏切り,シンメトリーが成立しないであろうという期待を裏切る.これは文法というより文体の問題である.今後は文体論的な解説に力を注ぎたい.
(広川直幸)