「山びこ通信」(2011/11月号)より、フランス語講読の様子をお伝えします(以下転載)。
『フランス語講読』 (担当:武田宙也)
この秋から始まった「フランス語講読」のクラスでは、フランスの美術史家ダニエル・アラス[Daniel Arasse, 1944−2003]によるユニークな絵画入門書、『絵画のはなし[Histoires de peintures]』を読んでいます。この本は、2003年に世を去った著者が、その年の夏に出演したラジオ・シリーズの計25回の放送を書籍化したもので、イタリア・ルネサンスを専門としたこの魅力的な美術史家の生前最後の声を収めています。
アラスは本書の中でアナクロニズムというトピックに言及し、それが今日の美術史を考察する上でいかに本質的なものであるか語っています。アナクロニズムとは、日本語で「時代錯誤」などとも訳される言葉で、歴史について考える際に、異なった時代に属するものを混同してしまうことを指します。それは、単純な歴史的事実の誤りから、ある時代以降に現れた概念を用いてそれ以前の歴史を解釈するといったことまで、多岐にわたります。たとえば、前者であれば、紫式部を室町時代の人間だと考えることが、後者であれば、明治以降につくられた行政の仕組みを江戸時代の政治を考える際にそのまま適用してしまうことがそれに当たるでしょう。
これらの誤りを周到にしりぞけることは歴史家の第一の務めですし、もちろんアラスも、アナクロニズムはできるだけ避けられるべきだと考えます。しかし一方で彼は、こと美術史においては、それが完全には避けきれるものでないことも認めるべきだと言います。というのも、美術史の研究対象となる芸術作品は、そもそもそれ自体が「さまざまな時間の混交」からなるものだからです。すなわちそれは、「現在それが存在しているところの時代」、「それがつくられた時代」、そして「この二つの時代のあいだに流れる時間」という三つの時間を自らの内に含み込むことによって、特定の時代性から常に逸脱する存在となっているのです。そしてまた、逆説的にもこのことこそが、過去につくられた芸術作品を現代のわれわれが観賞する際の醍醐味を生みだすことにも繋がっています。したがって、今日の美術史家にとってアナクロニズムの問題とは、それを完全に排することというよりも、それといかに上手に付き合い、利用するのかという側面に関わってくるでしょう。
本書、『絵画のはなし[Histoires de peintures]』においては、こうしたアナクロニズムとの戯れから生みだされた著者一流の絵画の味わい方がそこかしこで披露されています。アラスは、一見とるにたらない細部への注目から出発して、さまざまな絵画を新たに楽しむことへと読者を誘ってくれるのです。本書のタイトルに使われている「イストワール[histoire]」という単語には、英語のストーリー(はなし)に当たる意味のほかに、ヒストリー(歴史)の意味もあるのですが、まさに本書は、「複数の歴史(の可能性)」に捧げられた「時代錯誤」の絵画入門書ということができるでしょう。
(武田宙也)