漢文入門(クラスだより2011/11)

今号の山びこ通信(2011/11月号)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)

『漢文入門』 (担当:木村亮太)

早いもので、秋学期がはじまって一ヶ月半が過ぎました。

受講生のお二人は、毎週、しっかりと予習をして教室に来られますので、その時点でほとんどの文の意味は理解しておられます。また、たとえ意味が取りにくいところに出会っても、ヒントになることをすこし聞いただけで、「あっ!」とすぐに正しい方向に進まれますので、そんなときにはとても頼もしく感じます。

漢文も外国語ですから、見たままの文章をそのまま理解するのは難しく、どうしても予習が欠かせません。ひとりで学習するときの強い味方になるのは、やっぱり辞書です。

前任の村田先生が受講生のお二人に推薦しておられた『全訳 漢辞海』(三省堂)という辞書は、私も大学で漢文の勉強を始めたころから愛用しています。通学の際、自転車の前カゴにそのまま放り込んで持ち運んでいましたので、紙箱はぼろぼろになってしまいましたが、いまにして思えば、それだけ家でも学校でもよく使っていたということかも知れません。

私が使いはじめたのは初版が出て間もないころでしたが、その後、第二、第三と版を重ねており、いまもっとも支持されている漢和辞典と言えそうです。

現に、大学で授業に出ておりますと、ほとんどの学生がこの辞書を持参してきます。彼らの多くは第二版を使っているようですが、まだ専攻が分かれたばかりの三回生の某君はピカピカの第三版を持っていました。「隔世の感があります」などと書くと笑われるでしょうが、ひとまわりも年の違う学生と席を並べていれば、どうしても保護者のような気持ちになります。

また、同じ研究室に所属している中国人留学生・Xさんの『漢辞海』を見たときには驚きました。本を閉じて、縦置きしたときの上の部分のことを「天」と呼びますが、彼女の『漢辞海』の「天」は付箋紙に書かれた文字でびっしりと埋め尽くされていたのです。それらはどれも、普段からよく参照するページに貼られたものでした。Xさんは訓読を始めてまだ二年目とのことですが、道理であれだけ上手に読めるはずだと納得したものです。

大学院で研究をするとなると、どうしても日本の漢和辞典一冊だけでは不足を感じてしまうのですが、いまでも訓読の仕方を確認するときによく使っています。うれしいのは、山の学校で漢文クラスを担当するようになって、その回数がまた増えたことです。というのも、受講生のお二人も『漢辞海』を使っておられるので、授業の際に「この字は引いてみましたか?」、「なんと説明してありましたか?」と質問すると、お二人も「こうこうとありました」と答えてくださるからなのです。

入門クラスでは、『漢辞海』の手に負えないような表現はあまり登場しないとは思いますが、いつかは『漢辞海』の能力にも限界を感じるときがあるかも知れません。しかし、どのような辞書にも必ず得手不得手はあるものです。それをその辞書の個性として理解すれば、もっと上手に使いこなせるようになります。また、ほかの辞書と助け合うことで、より深い理解へとつながっていくのです。

いつか『漢辞海』を使いこなしているという感覚が得られるまで、まずはとにかく、いやがらずに引きつづけてもらいたいと思います。

 (木村亮太)