福西です。
4/14(初回)の記録です。このクラスには今三人の生徒が通ってくれています。
私が部屋に入った時に驚いたことをまず一つお伝えします。
それは、生徒たちがみな椅子に座り、先生が来るのを今か今かと「静か」に待っていたことでした。よほどはじめての事柄にワクワク・ドキドキしていたのでしょう。彼らの意識の高さには、こちらが気圧されそうになったほどです。そして幼稚園時代からの成長の履歴をひと目で感じ取り、もし彼らと懐かしさだけで接するのであれば、失礼に違いないと、私も心改まった一瞬でした。
「これから一年間、よろしくお願いします。楽しいところは楽しく、しっかりするところはしっかりして、いいことばのクラスにしていきましょう」と挨拶をしてから始めました。
この日は、まだ生徒たちの読み書きに対するポテンシャルが未知数だったので、俳句を作ることは控え、「俳句カルタ」から入りました。
「生徒」対「私」で、まずは1回戦。すると驚いたことに、私が俳句を読み出すとしばしば、1秒もたたないうちに「はい!」と誰かが札をさらっていきました。そんな調子で5枚しかとれない私に対し、生徒チームは40枚と圧勝。このことから三人ともひらながなをよく知っていることが分かりました。
気をよくした三人に二回戦をするかたずねると、「するする!」と返ってきました。そこでHちゃんが「私もよんでみたい!」と言ったので、難しいかな…と思いつつも、かわりばんこによんでもらうことにしました。すると意外なことに、三人ともわりとすらすらと得意げによんでくれたので、これもまたびっくりしました。
私も知らないような俳句もいくつもあって大人でも面白いと感じました。
青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川龍之介
なめくじの左まがりと右まがり 高野素十
のようなイメージで分かりやすいものもあれば、
をという字 書くかに見ゆるみずすまし 欅次郎
んっときばり われをにらむやがまがえる 大洗海仙
などなど。「ん」まであるとは、さすがカルタですね。
中には「野分かな」など、難しい言い回しもたくさん出てきましたが、一字一字を真剣によんでいる生徒たちの姿からは、好奇心の発露がうかがえました。
今回は私も健闘して18枚。対する生徒チームは28枚で、揺ぎない勝利を飾りました^^
後半は、取った札のひらがなを使って「字を捨てる」遊びをしました。これはひらがなを組み合わせて単語ができると、ばば抜きのように捨てていけるという遊びです。ぴったりなくなればラッキーです。今回は残念ながら、最後に「ぬ」だけが残ってしまいましたが、「さっきすてた『ま』があったら『ぬま』になるのになあ…」と、真剣に思案してくれていました。
三人ともすごくレベルが高いと分かったので、書くことも少し見たいと思い、先のひらながを1文字ずつ書き写してもらうことにしました。すると三人ともほとんど見ずにしっかり書けていました。ついでに自分の名前に使うひらがなまで書いてくれました。(これだけ書ければ、俳句も作ってもらいやすいと安心しました)。特にTちゃんの字がとても大きくてしっかりしていることに感心しました。またR君の字に花丸をつけた時、R君が喜んで、「こんな大きなまるをもらったのははじめてや~!」と言ってくれました。私にとっては日常のことでも、そのように新鮮に感じてくれたことが嬉しかったです。ますます心を込めてまるをつけてあげたいと思いました。
残りの時間は、絵本を読みました。これは毎週の定番にしていくつもりです。この日は以下の本を持ってきました。
(『いちごばたけのちいさなおばあさん』/わたりむつこ作)
#ちなみにこれは、私が小学校一年生のときに国語の教科書の表紙になっていたお話で、思い出をぜひ共有したいというのが、私のひそかな願いです^^
いちごに赤い色をつけるために、小さなおばあさんが、千段もある階段を行ったり来たり行ったり来たりする描写に、「大変やなあ!」と特に感じ入ってくれたようでした。私もその情景をすっかり忘れてしまっていたので、生徒たちの新鮮な反応を通じて、当時の心の機微を思い出せたような気持ちになりました。
そんなこんなで、あっという間に時間がすぎてしまいました。
これからも彼らのまっさらな気持ちを大事にしていこうと思います。
最後の一行に込められた先生の気持ちが教育のすべてだと私は思います。亮馬先生をはじめ、山の学校の先生すべてを一言で言い表すなら、「真心」という言葉に尽きます。教育はシステムではなく人であります。先生の真心から、あらゆる道が広がっていくのです。生徒は胸を張って、堂々とその道を歩いて行けばよい、と生徒自身感じるでしょう。すなわち、先生の真心があるクラスでは、生徒たちは安心して自分を発揮し、自分の信じる道を見いだします。この一年、どうぞ宜しくお願い申し上げます。