高木です。
夏休みの間に書きあげてきてくれた『ガリバー旅行記』の続編は、
一言で言うと、M君、H君、それぞれ、とてもよく書けていました。
その「犬島」には、日本人と、「ドルビアン」という原住民のほかに、
「ジーザン」というシーサー(獅子)に似た生き物が住んでいます。
琉球王国に似たその島へ着くと、住民はみな「王が帰った!」と喜びます。
ガリバーはその時、かつて16歳の頃に戦争に強制的に参加させられたときに、
自分の乗っていた戦艦が沈没して、漂流の末にたどり着いたのが、
この「犬島」だったことを思い出します。
(王になった経緯は明かされません。)
この島の民族には、「政治」という概念が存在しないのですが、
それでも生来の気質からか、争いごとや、いわゆる弱い者いじめなどは起こりません。
しかし、「王」として迎え入れられてしばらく経った頃、
ガリバーは「犬島」にいた一匹の柴犬を飼いはじめるのですが、
「フウイヌム語」を話すその犬が、驚くべき事実を明かすのです。
引用します。
なんと、その犬がフウイヌム語でしゃべりはじめた。
「なぜ、私のような犬をかったのですか。」
ぼくもフウイヌム語で答えた。
「あなたがかわいかったからです。」
「それでも、私は、あなたに感謝します。
なぜかというと、ここの原住民にこきつかわれていたのです。」
ぼくは、びっくりした。
ここの原住民は、てっきりやさしい者達だと思ったら、だまされた(以下略)
犬を連れて別の島へ移住しようと考えたガリバーは、船に乗り込みますが、
嵐に遭い、偶然、イギリスに帰り着くことができます。
それからガリバーは、犬とともに牧場を開いて暮らすことになります。
「フウイヌム語」で話す「犬島」の犬は、
あの「フウイヌム国」の馬たちとどのような関係があるのか、
また、この「犬島」の原住民や琉球的な風土・伝統と、
「王」としてのガリバーとが、どのように交流したのかなど、
まだまだ物語を発展させることができそうです。
しかしこのように、M君の物語は、スウィフトの『ガリバー旅行記』が持っている、
冒険旅行の高揚感と、社会への批判的まなざしとの両面を、
しっかりと引き継いでくれています。
その意味で、正統な続編だと言えるでしょう。
裏を返せば、これは、M君が『ガリバー旅行記』本編のテーマを、
深く受けとめた証拠でもあります。
H君は、2篇、物語を書いてくれました。
ひとつは『地中の城』、もうひとつは、その続編の『未知の世界』です。
『地中の城』は、南極への航海の途中に、海に空いた巨大な穴を落ちて辿り着いた、
地中にある国の旅行記です。
ガリバーは、まず、このしつ問をしました。
「ここは、なんという国ですか?」
「知りません。ここは国王しか知らない国なのです。
ただわかるのは、ここは、地中です。」
(中略)
この場所に来て4日目、ガリバーと、いっしょにいた人たちが、
ここから、にげようとして、にげ道をきこうとしました。しかし、その人は、
「この国の出入口を知ることは、第三十五条に、いはんするこういだ。」
ととめられた。わたしは、ぞっとした。「ここからどう出よう。」
その日の夜、空を見上げると、雲もないのに星がない。
「そりゃそうだよ、ここは地中なのだから。」
地中にあるこの国には、毎年怪物がやってきて、国を滅ぼそうとします。
ガリバーは国王に頼まれて、怪物を倒すロボットを開発します。
ロボットが完成した日の夜は、珍しく国王の姿が見えませんでした。
そこに怪物が現れたのですが、ロボットに乗ったガリバーが操縦席で
でたらめにボタンを押していると、怪物は「フッ」と消えてしまいます。
そこへ、国王が帰ってきます。
国王が帰ってきた。国王の様子が変だ、血を流している。
国王は、けらいを、よび、羽をつけて飛んでいった。
「国王が怪物じゃないのか?」
センスがあるなと感心したのは、国王が、国を襲う怪物として描かれる以上に、
本当に国王が怪物なのか否かを断定してしまわない語り方です。
安直に落ちをつけるのではなく、真実は読者に委ね、謎を謎のままに留め置くことで、
逆に、国王あるいは怪物の不気味さが引き立っています。
「ここは国王しか知らない国」、星の見えない「地中の城」という設定が、
にわかにリアリティを帯びてきます。
さて、2篇目の『未知の世界』は、さらに2章立てに分かれています。
第1章「ラグランジュ」では、地中の国から脱出したガリバーが、
南極への航海を続行する途中で、今度は巨大な水柱に突き上げられて、
そのまま、2100年後(3813年)の宇宙へ放り出されます。
ガリバーが辿り着いたのは、「二つの天体の重力がつり合う点」にある、
「ラグランジュ3」という星であり、そこには大気があり、人が住んでいます。
(参考:天体力学では、2つの天体が作る重力場が遠心力と釣り合う点のことを「ラグランジュポイント」と呼ぶそうです。)
人びとの話によると、その国には、
しばしば「世界の成り立ちをくずそうとする」「日本人」が飛来し、人びとを攻撃します。
とくに最近は、「ASAT(対衛星攻撃兵器)」をアメリカから奪ったらしい。
ガリバーは、その「日本人」の乗る宇宙船を発見し、倒します。
しかしそこで見た「日本人」とは、まぎれもなくあの「地中の国王」だったのです。
第2章「ビフォー・ジャパン」では、宇宙から地球に降下したガリバーが着陸した場所、
247年前(1470年)の尾張の国から物語が始まります。
そのころの日本は、1日が12時間に短縮させられているのですが、
そのように人の感じ方を変え、時空を歪ませたのは、琉球王国に居るある人物だということを、
尾張で出会った「日吉丸」という子どもから聞いたガリバーは、日吉丸と共に、
山頂に城を構える武士に頼んで、尾張から港へ馬をとばします。
港から琉球へ渡ったガリバーたちでしたが、島の中心に建つ巨大な城へ行く途中、
くぐったトンネルで日吉丸を見失ってしまいます。
それぞれの階層が200の物語や神話と対応している200階建ての城には、
世界のあらゆる事物・事象について克明に記された予言書があり、
それを見ると、ガリバーは1470年に琉球王国の尚円(しょうえん)王に倒されることになっています。
1470年の時点で死んでしまうと、その後、1699年から開始される
リリパット、ブロブディナング、ラピュータ、フウイヌム、地中の城への冒険は、
存在しないことになってしまいます。
そこでガリバーは尚円王に会い、彼との格闘・交渉の末、和解し、
さらに、人の心を操作しない約束を取り交わすことができました。
トンネルで消えた日吉丸はその後、尚円王に代わって、
琉球王国の第三代国王・尚泰(しょうたい)王になるのですが、後からH君が話してくれたことによると、
この「日吉丸」とは、そもそも豊臣秀吉の幼名であり、だから舞台も「尾張」に設定したのだそうです。
2100年後の宇宙から、250年前の尾張・琉球まで、
壮大なスケールでガリバーの冒険が展開する『未知の世界』も、非常に読み応えがありました。
天文学の知識や史実などをふんだんに織り込み、
また随所にH君の独創的なアイデアが散りばめられています。
物語の本文に加えて、琉球王国の尚円王と尚泰王についての参考資料まで付してくれていました。
彼の創作にかける情熱が伝わってくる、大変な力作だと、感心しました。
M君とH君のそれぞれの作品は、
これも春学期まで継続してとりくんでいた『ガリバー旅行記』の書き取りの3人分の原稿と、
私が書いた『ガリバー旅行記』の続編の原稿と併せて、
一冊の書籍に装幀して、それぞれにお渡ししました。
その厚みが、昨年来の『ガリバー旅行記』に関する彼らの頑張りの、厚みです。
夏休みをひとつの区切りとして、また一段、彼らは「ことば」の礎を積んだのだと、私は確信しています。
☆
さて、彼らの創作についての記述が長くなりましたが、
今回の「ことば6年生」のクラスは、それぞれの「本」についてコメントをした後は、
前回の続きで、詩作に取り組みました。
前回は、詩の題材を探しに散策に出かけて、詩を書き上げる前に時間が来てしまいました。
今回は、前回のことを思い出しながら、さっそく詩を作ってもらいました。
H君は、散策したときに書き留めていたメモを見ながら、
ひとつひとつの詩をじっくり作ってくれていました。
この場を借りて、彼の詩を紹介したいと思います。
森の音
H・K
蝉の声が鳴りひびく
清水流れる小川の音
ここは、森
森はいつでき
いつから音を出したのだろう
これは、バプテスト病院の向こうにある小川を歩いたときに得た詩なのだそうです。
そういえば、H君は、ときどき立ち止まって、鉛筆を走らせていました。
H君の詩は、「音」に着目する感覚が、新鮮だと思います。
蝉の声、小川の音、森が発する「音」をとりあげながら、
どこか、森の「静けさ」が聞こえてくるような、何度も読みかえしたくなるような詩です。
M君は、多産な詩人です。
しかも、短いセンテンスで、フッと心をつかむような、
そういう、感性の鋭さを感じさせるような詩が多かったです。
せっかくなので、2作紹介します。
蝉
M・O
うるさくて、夏の暑さを
もっと感じるけど
だれかのためにいってるなら
夏の暑さをわすれてしまう
命からがら大声をはりあげる蝉は、
じつは「だれかのため」に鳴いていたのだ。
そのことに気付いた瞬間、きっとM君は、
夏の暑さを忘れるほどに、心を動かされたのでしょう。
その、時が止まったような一瞬の空気感が、とてもよく伝わってくる作品です。
もう1作。
川の音色
M・O
川の音色は、何の音なんだ?
地球の呼吸か?
それともだれかを呼んでいるのか?
先の「蝉」もそうでしたが、M君の感性の根本には、
「だれか」への、つまり他者への、あたたかい交感があるようです。
「この『呼吸』も、こっちの『呼んでいる』も、同じ『呼』やな」と私が言うと、
M君は「うん。書いてるときは意識してなかったけど、なんかつながってるみたい」と言っていました。
M君の「蝉」「川の音色」と、H君の「森の音」とは、じつは同じ題材を扱っています。
しかし、そうでありながら、これほど違った表現になるのか、と感じ入りました。
それぞれの感性の良さが、ことばによって、とてもよく伝わってきました。
今週は、詩を書き上げるところで時間が来たので、
来週は、それぞれに自分の詩を発表してもらい(私も詩を発表します)、
お互いに良いところを講評し合って、私からも添削とコメントをしたいと思います。
そして、その後は、
以前から、推理小説をこのクラスで読んでみたい、という要望があったので、
いよいよ秋学期から読んでいく物語、江戸川乱歩の『少年探偵団』の導入へと、進みたいと思います。
生徒の取り組みのすばらしさと、それを十分引き出し、こうして心を込めて紹介して下さる先生の姿勢に感動しました。