山の学校設立1年目の「山びこ通信」第4号(2004年3月刊行)からの記事です。(以下転載)
*** SENSE OF WONDER !
『しぜん』だより (担当:山下育子/山下太郎)
自然を思う──
私たちは毎日どれくらいの自然を感じながら、二度と帰らない一瞬一瞬を過ごしているのでしょうか。
夜には月や星が私たちを照らし、その夜空を見上げて、遠く親の背で同じ月を見たことを思い出すふとした瞬間に、私たち大人も、傷つき疲れた心を癒してくれるものがすでに用意されていたことに感謝したい気持ちになります。そして、明日もまた必ず太陽は昇ってくれます。
また、多忙な日々、さまざまな試練が目前に立ちはだかり、生きている意味を問い直したくなるほどの日常に、小さなアリが黙々と自分より数倍大きな荷物をひたすら運ぶ姿を見つけた時、そこに自分と同じ魂を感じ、共感し、暫く時を忘れさせてくれる瞬間があるのは、自然を観る喜び以外の何ものでもありません。
また、人によっては花瓶に生けた花が、毎日少しずつ花びらを開かせ、香りをただよわせながら私たちに美しく語りかけてくれる様子を毎日楽しみにするのも、身近な自然を感じることに他ならないでしょう。
そして何より、「しぜんクラス」の子どもたちが、“宝物の石”“宝物の虫”を持ってきて得意げに話を交わしている時や、山の中で何かを見つけてワクワクした気持ちで自然と向かい合っている真剣な姿は、このクラスの子どもたちが最も輝いている瞬間に違いありません。
自然の中には私たちが生き物のひとつとして明日を生きるための、そして心身を癒してくれるためのエネルギーが蓄えられており、それを私たちは当然のように毎日享受して生きているのだと感じることができます。
そう思うと、子どもたちが、その生命力が溢れて心が輝いているはずの頃に、テレビ、ゲームの類に多くの時間を満たされがちで、言わば人工的な環境に心が浸され頭脳を不自然に動かすトレーニングに慣れてしまう一方、生身の人間との関わり、自然の偉大さを感じる心が成長しないまま大きくなることは、取り返しのつかない残念なことなのかも知れません。
私たち人間は、皆大いに自然の中を歩き、大人も子どもから多くを教えてもらい、不思議なものを見つけ、大人と子どもの枠を越えて自然を共有する気持ちを持ちたいものです。また、子どもたちにとっても、自然の感動をわかち合える大人の存在があって、その感動を心に刻んでいくことができるのでしょう。
「しぜんクラス」は、毎回時間が足りないくらいです。そんな中で、ささやかな自然であっても、目で見、手で触れ、風の音、空気のにおい、水の流れ、土の感触を忘れず、二度と戻らない自然の中に身を置く瞬間を大切にしたいと考えています。
この1年間の「しぜんクラス」
春
- 自己紹介
- 春探し (木、花、虫、秋冬の落とし物)
- 自然と遊ぼう
- ダンゴ虫、ワラジ虫のきょうそう
夏
- ひみつの森へ
- 種をうえよう
- クモの巣づくり
- 雨の日の生き物さがし
- セミの声、木にとまる虫
- 沢ガニさがし
夏のイベント
「ワクワク探険教室」瓜生山山頂(海抜301m)~狸谷不動院へ~野鳥の声、キノコを見つける
秋
- ヒマワリの種のおやつ
- 虫の声コンサート
- 秋を描こう
- 土の中の生き物
- ビデオ鑑賞「たね」
- 紅葉、黄葉の落ち葉さがし
- ぼうしはどれかな
- 虫がつくったへんなもの
冬
- 芽さがし
- 生き物はいつ生まれたの
- →古生代~中生代
- 「三葉虫、アンモナイト観察」
- 「ぼくのすきな恐竜」
- 「わたしのすきな石」
- 岩石と鉱物~花崗岩をもとめて
- 「褐れん石」見つけた!
- 銀閣寺山門の石畳、薫青石ホルンフェルス観察→大文字山2億年前の堆積層チャート、鴨川探索
(山下育子)