今号の山びこ通信(2013/11/1)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)
『かず5年A・B』(担当:高木彬)
このクラスでは、前半30分で前学年の総復習に取り組んだ後、後半では「論理的に考えること」の練習をしています。これが算数・数学の根っこにあるものであり、算数・数学を学ぶ意義のひとつだからです。
前号の『山びこ通信』では、論理的に考えるためには「頭のなかの目隠しに気づくこと」が大事だということを書きました。クラスで取り組んだ「9つの点」という問題についてご紹介したと記憶しています。今回は、その続きです。
またも突然ですが、こんなお話をご存じでしょうか。
一人の男が歩いていた。雨が降ってきた。男は帽子をかぶっていない。傘も持っていない。男は歩きつづけた。服がぬれてきた。靴もぬれてきた。しかし、男の髪はぬれていない。どうして?
不思議ですね。この男の髪はどうしてぬれないのでしょうか。「男が魔法を使ったから」というのは、それはそれで魅力的な答えですが、このクラスのテーマは「論理的に考えること」です。ここにはちゃんと筋の通った理屈があるのです。
この問題に取り組む際のポイントは、出題者に何回でも質問していい、ということです。ただしその質問には、出題者は「イエス」か「ノー」でしか答えません。ということは、「ヒントを下さい」とか「答えは何ですか」といった質問(?)は、この二択で答えられないので無効になります。
さて、あなたならどんな質問をするでしょうか。
実はこの問題は、質問の仕方のほうに、物事を順序立てて考える力が必要になってくるのです。最初は「風は吹いていましたか?」とか「雨は弱かったですか?」といった当てずっぽうの質問で良いのです(どちらも「ノー」です)。とにかくたくさん質問します。
そのうちに、だんだんと解答者が知っている情報が増えてきます。そして、どうやら「風」や「雨の強弱」といった、男の外側の条件は関係なさそうだということが分かってきます。したがって、たとえ暴風雨の中でも、男の髪はぬれない。このあたりで、次第に問題の核心が絞り込まれてきます。
「手で頭を覆っていましたか?」「ノー」。「その服はレインコートでしたか?」「ノー」。つまり、なんにも頭を覆っていないのに、髪はぬれなかったということです。ここでR君が導き出した質問は、このようなものでした。「顔はぬれていましたか?」その質問には「イエス」と返事をしました。
顔までぬれているのに、髪だけがぬれていない、というところまで絞り込んだ結果、R君は直後に「あっ!」とひらめいて、答えにたどり着いたのです。これをうけて、IちゃんとEちゃんも、次の質問をすることで答えを得ることができました。「その男にヒゲはありましたか?」おそらく、「顔はぬれて髪がぬれないのなら、じゃあヒゲは?」と考えたのだろうと思います。
この質問についてはどちらで返事しても良かったのですが、私は「ノー」と言いました。ヒゲはなかった。当然、ないものはぬれませんね。さあ、もうおわかりでしょう。みんなが最後にした質問で、この問題の答えに代えたいと思います。「その男に髪はありましたか?」「ノー!」
以上から分かることは2つあります。1つは、論理的に考えるためには思い込みを解除する必要があるということ(これは前号ですでに書きました)。髪がない人だってたくさんいるのです。そしてもう1つは、論理的に考えるためには想像力をはたらかせる必要があるということです。
論理的に考えるということと、想像力をはたらかせるということは、しばしば別の領域のこととして扱われます。実際、純粋な論理、純粋な想像力というものは存在します。
しかし、すでに上記の「雨の日の物語」を一緒に考えて下さったみなさんならおわかりのように、多くの現実的な問題においては、論理的に考えるということと想像力をはたらかせるということは、矛盾しません。それどころか、むしろそれらは補完しあっているのです。答えにたどり着くためには、髪がぬれないヘンテコな男のことを何度も頭のなかに思い浮かべながら、可能性を絞り込んでいく必要があったはずです。
現在は、こうしたいわゆる「水平思考パズル」の他にもさまざまな問題を用いて、楽しみながら論理的思考力を鍛えています。では最後に、クラスで取り組んだ問題の中から、もう1問だけご紹介します。
5リットル入る水差し1つと3リットル入る水差し1つを使って、正確に4リットルの水を計るにはどうすればいい?(水はどれだけ使っても構わない。)
ぜひ、水が4リットル入っている最後の状態を想像して、そこから順序よく遡って考えてみてください。
(高木 彬)