『ロシア語講読』(クラスだより2013.11)

今号の山びこ通信(2013/11/1)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)

『ロシア語講読』(担当:山下大吾)

今学期の当クラスでは、ロシア最大の詩人であるプーシキンの代表的な抒情詩を中心に取り組んでおります。受講生は引き続きTさんお一方、木漏れ日が柔らかに差し込む、昼下がりの「離れ」の中での授業です。

これまでにプーシキンの詩人としての出自や思い、さらには使命感が強く表れている詩を主に読み進めてきました。旧約の預言者イザヤの召命に範をとりつつ、神に選ばれ(てしまっ)た者のみの有する、凄惨とも言える自己体験を赤裸々に綴る『預言者』。詩人の極めて対照的な姿が第三者の立場から眺められ、ひとたび神の声に触れた彼の躍動し疾駆する姿が、我々読者の目の前を通り過ぎ、人気なき岸辺へ、森の中へと走り去る『詩人』。その詩的世界の本質は、かつてプロスペル・メリメが「せいぜいラテン語にならば訳せよう」といみじくも評した、翻訳という手段を峻拒するプーシキン自身のロシア語を読むことによって初めて得られます。そのような詩を味読する楽しみは、何事にも代えられない貴重なものです。

前学期まで取り組んでいたトゥルゲーネフの『散文詩』は、その詩的価値はさておき、タイトルが示すように散文による作品です。彼自身もその文体に絶対の自信を抱いていたからこそ、このスタイルで記したに違いありません。Tさんは韻律や押韻など、韻文ならではの制約や特有の表現に当初不安を抱かれた由ですが、現在ではアクセントの違いによる形態の差異が覚えやすい点など、むしろその長所に注目しているようです。今後は引き続きプーシキンの詩を中心に読み進め、合間にレールモントフやチュッチェフの同傾向の詩を取り上げる予定です。

(山下大吾)