『歴史入門』(クラスだより)

今号の山びこ通信(2013/11/1)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)

『歴史入門』(担当:吉川弘晃)

私が山の学校に赴任してから早いものでもう半年が経ちました。春学期からの生徒さんとも教室での質疑応答を繰り返しながらお互いに少しずつですが成長してこれたという感じがします。この授業の趣旨は春学期と変わらず、高校や予備校で扱うような「教科書的歴史」ではなく、様々な視点や価値観から歴史そのものを捉えなおしていこうというものです。従って、この授業の参加者にはできるだけ多様な興味・関心をもってもらうと共に、文系理系を問わず高校生レベルの基礎学力をしっかり見につけている必要があります。

近年、こうした基礎学力をコツコツ身につけることを軽視する風潮が見られます。「知識偏重型」の大学入試ではなく「コミュニケーション能力」を考慮に入れた多様な試験形態を導入すべきだと主張する人も少なくありません。確かに知識の詰め込みだけでは中等教育として相応しくないかもしれません。しかしながら、彼らの言う「コミュニケーション能力」について再考しましょう。コミュニケーションとは相手の主張する核心を理解した上で、それに対して自分の経験や知識をもって論理的に意見を述べる作業です。これを潤滑に行うためにはまずは国語力(語彙力・論理力・レトリック力)が必要ですし、論理に肉付けしていくための知識(地理・歴史・物理・化学・生物…)も必要になります。すなわち相手と一定のコミュニケーションを成立させるための土台をある種の「教養」と呼ぶのであれば現在の「知識偏重型」の中等教育は少なくとも「教養」を身につけるツールとしては最適なのではないでしょうか。

このようなことを述べたのは、学問におけるインプットの重要性を再確認しておきたかったからです。この授業では、1冊の歴史に関する本を参加者であらかじめ読み、私が授業で内容の解説や補足を行いながら、生徒さんに論点や疑問点を出してもらいます。いわば参加者にとってアウトプット中心の授業となるので、コツコツと問題集にあたって暗記するようなインプット作業が退屈に感じられてしまう恐れがあるのです。確かに暗記作業は私にとっても退屈でした。しかし、1789年に起きたフランス革命を考える上でルネサンス以降だけの知識では不十分と言えるでしょう。人間が未来に展望を抱くとき、その展望の根源となるのはほとんどの場合は過去の歴史的事象です。フランス革命が理想とした共和制のイメージを理解するには古代ギリシャの民主制の歴史を考えねばなりません。さらに同時代に他の地域で何が起こっていたのか、政体や社会形態にどのような違いがあったのかを理解する必要もあります。当時のヨーロッパの思想家は専制国家を批判するために同時代の中国を引き合いに出します。そこでは皇帝1人のみが自由を享受してその他大勢は隷属に甘んじている、といった具合にです。しかし実際にそうだったのか、どのような偏見が含まれていたのか。こうした批判的な視点をもつためにも古今東西の基本的な事実を一通り頭に入れておく必要があるわけです。

春学期はイギリス近現代史に関する新書を読み、イギリスの発展がヨーロッパだけでなくアジアをも巻き込む形でいかになされてきたかという、いわば「空間軸」で歴史を考えました。それに対して秋学期はヨーロッパ人の歴史観に関する新書を読み、歴史の「時間軸」そのものを問い直していこうと考えております。歴史は実際に起きたことがそれぞれの時代の「色眼鏡」を通じて書き記され、それが無限に書き直される作業であると言えます。ではその「色眼鏡」はどのように形成されていったのかを考えていきます。インプットの重要性を噛み締めつつも好奇心を何よりも大事にしつつ講師含めて引き続き教室全体が成長していける場にできるよう精進しようと思います。

(吉川弘晃)