第十回
今回は『漢文法要説』第二章第四節「対異散同」、第五節「連文」を解説し、『旧唐書』杜甫伝の前半を読みました。
杜甫伝前半の訓読は以下の通りです。
「杜甫字子美、本と襄陽人、後に河南の鞏縣に徙る。曾祖の依藝、位は鞏令に終はる。祖の審言、位は膳部員外郎に終はる、自ら傳有り。父の閑、奉天令に終はる。甫は天寶の初に進士に應ずるも第せず。天寶の末、三大禮賦を獻ずるに、玄宗は之を奇とし、召して文章を試み、京兆府兵曹參軍を授く。十五載、祿山は京を陷し、肅宗は兵を靈武に徴し、甫は京師自り宵に遁れて河西に赴き、肅宗に彭原郡に謁し、右拾遺を拜す。房琯は布衣に時に甫と善く、時に琯は宰相と為り、自ら師を帥ゐて賊を討たんと請ひ、帝之を許す。其の年十月、琯の兵は陳濤斜に敗らる。明年春、琯は相を罷む。甫は上疏して琯に才有り、宜しく罷免すべからずと言ふ。肅宗怒り、琯を貶して刺史と為し、甫を出して華州司功參軍と為す。時に關畿亂離し、穀食踊貴し、甫は成州の同谷縣に寓居し、自ら薪を負ひ梠を採り、兒女の餓殍する者數人なり。之を久しくして、召して京兆府功曹に補す。」