いよいよ2章もほとんど終わりました。
それぞれの意見が部分的には正しい場合に議論の自由が重要であるという主張の続きです。キリスト教道徳はそのような部分的な真理ではなく完全な真理だという反論への応答です。
That mankind owe a great debt to this morality, and to its early teachers, I should be the last person to deny; but I do not scruple to say of it, that it is, in many important points, incomplete and one-sided, and that unless ideas and feelings, not sanctioned by it, had contributed to the formation of European life and character, human affairs would have been in a worse condition than they now are.
人類がこのキリスト教道徳に、そしてその初期の指導者に大きな恩義を負っていることを、私は決して否定しようとはしないのであるが、ためらわずにこう言おう。キリスト教道徳は、多くの重要な点において、不完全で不均衡なものであり、キリスト教道徳に認められない考えや感情がヨーロッパ的な生活や性格の形成に寄与しなかったとしたら、人間に関する事柄は今よりも悪い状況になっていただろう、と。
これほどまでにはっきりと言い切っていることに驚きました。