前川です。
「枕草子」の講読、前回は23段(岩波文庫)の後半を読みました。
古今集をめぐる宣耀殿の女御のエピソードが中心ですが、
1100首を間違いなく覚えていたというのは脚色なのか事実なのか、
しかし昔は文字よりも言葉、音で身につけていたことを考えると
まんざら虚飾とも言いがたいところです。
これを機会に、古今集をまた繙いています。
次回は24段から読みます。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
前川です。
「枕草子」の講読、前回は23段(岩波文庫)の後半を読みました。
古今集をめぐる宣耀殿の女御のエピソードが中心ですが、
1100首を間違いなく覚えていたというのは脚色なのか事実なのか、
しかし昔は文字よりも言葉、音で身につけていたことを考えると
まんざら虚飾とも言いがたいところです。
これを機会に、古今集をまた繙いています。
次回は24段から読みます。
>しかし昔は文字よりも言葉、音で身につけていたことを考えるとまんざら虚飾とも言いがたいところです。
同感です。
現在の入試制度では、古典の暗唱をする生徒は少ないと思いますが、揮発性の知識をペーパーで問うより、「覚えただけ暗唱してみてください」という面接の方がよほど確かな生徒をスカウトできるという気がします。しかも本人のためになる^^
昔、大学の先生に聞いた話では、ドイツの大学での古典語の試験は「テキストをパッと開いて、そこからひたすら朗読していく、言いよどんだら次の人に交替」だったとか(今でもそうなのかどうかは知りませんが)。
たしかに、言葉への正しい知識が無いと朗読はできないものですね。
示唆的なお話をありがとうございました。たしかに、そのやり方は大事なことを伝えていると感じます。山の学校のことばのクラスでは、先生が言われた「朗読リレー」を実践しています。子どもたちの集中力は並々ならぬものがあると聞いています。何語であれ、音読を聞くとその人の力がただちにわかります。そういえば英検の面接にも音読がありますね。