前川です。
古文講読、今回は3段から5段の途中まで読みました。3段を見るだけでも、「をかし」の意味範囲が非常に広いことが分かります。教科書で学んだものから、改めて調べ直し、考え直すことで言葉への理解が深まっていきます。
また随筆文学だけに、当時の風俗を切り取った部分も楽しく読むことができます。まさに「目で見たように」書かれている様子が度々出てきます。それらを通じて、王朝時代の人々を感じられるといえるでしょう。
次週は休講です。
山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。
前川です。
古文講読、今回は3段から5段の途中まで読みました。3段を見るだけでも、「をかし」の意味範囲が非常に広いことが分かります。教科書で学んだものから、改めて調べ直し、考え直すことで言葉への理解が深まっていきます。
また随筆文学だけに、当時の風俗を切り取った部分も楽しく読むことができます。まさに「目で見たように」書かれている様子が度々出てきます。それらを通じて、王朝時代の人々を感じられるといえるでしょう。
次週は休講です。
使用しているテキストは、岩波文庫版です。他の刊本とは本文の違いがけっこうあったりして、枕草子もなかなか侮れません。
「徒然草」にせよ「枕草子」にせよ、京都で読むというのも、なかなかよい感じです。ラテン文学をローマで読むようなものでしょうか(笑)?
私は高校時代、御所を眺めながら「源氏物語」の授業を受けましたが、先生の説明をBGMがわりにしただけでした。もったいない話です。ぼんやりとした思いでしか残っていません。
古典文学は、10代の頃に読むのもよいのでしょうが、年齢を重ねてこそ味わえる要素が多い気がします。前川先生が別のクラスで読んでおられるセネカにしても、あちらの国では10代に読むわけでしょう。ただ、日本の高校生(含私)が「ぼんやりとした思い出」しかのこっていないのと同じことがキケローやセネカに対しても起こっているはずです。洋の東西を問わず、お互い「勿体無い」ことをしているはずです。
私塾(カルチャーセンターも含む)で古典を学ぶというのは、これからおすすめではないでしょうか。もちろん、山の学校が一番おすすめですが(^^)