春学期に「古文講読」を受講された方の感想文をご紹介します。
昨年四月から「古文講読」を受講して「徒然草」を丁寧に読んでもらつてゐます。先生一人に生徒一人といふことで、贅沢といふか申し訳ないやうなのですが、おかげで私の意見も自由に述べることが出来て有難いです。
何となく分つたやうな、さういふ分り方はいやなので、一語一語出来るだけ辞書を参照して「厳密に」理解するやう努めてをります。特に、昔の用語では「辞」、今の学校文法では助動詞・助詞・感動詞などですが、この「辞」の働きを正確に把みたい、これが日本語のポイントだと思つて努力してゐます。
又古文を勉強してゐると、それと比較して現代の日本語についても色々反省させられることが分つてきて、中々有意義です。
実は、数年前から、古典ギリシア語の初歩を少し齧つて大分苦労したのですが、しかしそれはたとへ分つても頭の中の理解にとどまつてゐますが、それに比べると日本語の場合は、文章の勢ひや書き手の心の動きなどが、何といふか全身でよく分る、といふ感じがあつて、時に感動することもあります。
私一人の生徒では勿体ないので、是非御参加をお勧めします。(R.I.)
貴重なお声です。
>「何となく分つたやうな、さういふ分り方はいやなので」
ここが大切なポイントだと思いました。
ちょうど今、地元の新聞の日曜版では徒然草の紹介と解釈を連載していて、私もこの作品を読みたいなと思い始めているところです。西洋の古典もすばらしいのですが、日本の古典を無視するわけにはいきません。ぜひ、秋からのご参加をお待ちしています>古典に関心のある方