今号の山びこ通信(2013/6/17)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)
『フランス語講読』(担当:佐藤友一郎)
今春より山の学校フランス語講読クラスを担当させていただいております佐藤です。このクラスでは、受講生のYさんとHistoire du visage(顔の歴史)というテキストを読み進めています。
顔はしばしば、個々人のアイデンティティの核心にあるものと見なされています。とはいえ顔はまた、どこかしら掴み所のなさを帯びてもいます。その要因はおそらく、アイデンティティの担保をはじめとした顔の文化的・社会的機能というものが、顔を見る「まなざし」と不可分なかたちで成立しているということにあるのではないでしょうか。ここで言う「まなざし」とは、視覚を通した「解釈」のことです。「まなざし」が揺れ動くとき、顔も揺れ動くのです。自分で自分の顔を見る行為もまた、こうした揺らぎと無縁ではないでしょう。自分の顔を見るとき、そこには想定された他者のまなざしが介在しているのではないでしょうか。この場合想定されている他者がいかなる他者であるかによって、まなざしは変化し、ひいては自らの顔もまた、変わりめぐるのです。
顔とまなざしの戯れ。その歴史を16世紀から現代までのスパンで考察したのが、冒頭でご紹介した講読テキストのHistoire du visageです。この本における美学、生理学、社会学、政治学等々の諸領域にまたがった考察によって、いわば公と私のあわいにある顔というものが歴史のなかで果たしてきた役割が、多面的に浮き彫りになるでしょう。変動著しい社会状況の下、公と私の関係が問い直され、アイデンティティのありかが模索されている現代世界について考えるためにも手がかりとなる一冊です。
(佐藤友一郎)