今号の山びこ通信(2013/6/17)から、クラスの様子をご紹介します。(以下転載)
『漢文入門』(担当:木村亮太)
年度が改まった4月、漢文入門クラスでは新たにHさんを加えて、ベテランのIさん、私の3人で、「はなれ」の教室で机を囲んでいます。Hさんはこれまで日本文学を研究してこられたとのことで、漢文に対しても意欲は十分、とても積極的に授業に参加しておられます。
今学期は、Iさんからのご要望がきっかけで『韓非子』を読んでいます。テキストは陳奇猷校注『韓非子集釈』(上海人民出版社、1974。『韓非子新校注』として2000年に上海古籍出版社より増補再版)を使っていますが、これは私たちが手に取ることができる最も完備した注釈書と言えるでしょう。また、『韓非子』は日本でもよく知られた本ですので、優れた邦訳がいくつもあります。
受講生の習熟度はもちろん同じではありませんが、お2人ともご自分の段階に応じて、よく予習をしておられます。Hさんは毎回、予習では分からなかった点をまとめて来られます。ここを質問しようという目的意識が明確なのは、しっかりした準備の表れでしょう。先日、予習の仕方をうかがうと、「まず自分で本文を読み、分からないところは訳注を何冊か見比べ、腑に落ちないところは辞書を引く」という手順を踏んでおられるそうです。なるほど訳注を比較検討するという作業は大切ですが、それをスタートにしてしまうと、かえって右顧左眄してしまうことにもなります。そこで、次のようなことをお伝えしました。自分で正しいと思える解釈を選び取るためにも、まずは辞書を使って、ゆっくりとでも着実に本文と向き合いましょう。それでも分からないとき、読めないときに、初めて訳注を開いてみると、訳者の考えていることがより細かく分かるようになって、自分の意見も整理しやすくなりますよ。まだまだこれから、一歩一歩、がんばっていきましょう。
Iさんはというと、ますます伸び伸びと読書に突き進んでおられます。それを下支えするのは、丁寧な『韓非子集・釈・』の読解です。なかなか授業中には注釈の読み方まで詳しくお話しする時間が取れないのですが、「習うより慣れろ」とばかりに独力でどんどん読み進めておられ、その意欲と上達ぶりにはいつも驚かされます。どんなに優れた訳本でも、もっとも古い注釈さえも、けっきょくのところは「一説」に過ぎず、絶対に正しいということは誰にも言えないのですが、だからと言って、先人の議論の輪に加わって新しい説を立てるのは、容易なことではありません。ただ、そういった邦訳や注釈には、人々の支持を得るものと、そうでないものとがあります。ある説が「なんとなく良いと感じられるから」というのではなしに、多くの人から支持される理由を順を追って理解した上で、賛成か反対かを判断するのであれば、それは紛れもなく学問なのだろうと思います。
(木村亮太)