『私とギリシア語』

自分の通っている大学の担当教授の専門がギリシア哲学で、実は、ギリシア語には大きな憧れをもっていました。とりあえずラテン語文法を終え、講読の授業を受けていた頃、ギリシア語を始めたいなと思い、冬学期の半ばだったと思いますが、山下先生に「ギリシア語がやりたいです。」と、言いました。すると、「じゃあ、やりましょうか。」と、二つ返事でおっしゃって、お山の学校にギリシア語文法のクラスが新設され、春学期に新しく広川先生がいらっしゃいました。三回生をむかえた昨年の春のことです。

ソクラテスやプラトン、アリストテレスは、一体どんな言葉を話して、議論したのだろうか、そんな風に思いながら、ギリシア語文法を始めました。

広川先生の御意向で、ギリシア語文法は一年かけて学ぶこととなりました。これを書いている今、文法書はあと4 課を残すところとなっています。ラテン語文法のクラスは、4 ヶ月の間の12 回の授業で文法書を終えるプログラムになっていて、私はまるで雪山のてっぺんから、そりでザーっと滑り降りるかのようにラテン語文法を終えました。それは、語学が得意とは到底言えない私にとって、苦痛の少ない授業だったと思います。けれど、どうやら私は早く終えることに夢中で、あまりラテン語というものを捉えられていなかったようです。

というのも、一緒にギリシア語を勉強している受講者の方も、すでにラテン語を学ばれているので、必要な場合、広川先生はギリシア語をラテン語に訳されたり、二つの言語間の違いを示しながら、ギリシア語を説明してくださいます。(また時に、英語やイタリア語のような近代語を用いて説明してくださることもあります。)それで私は、ラテン語で知らなかったこと、理解できていなかったことを学ぶ機会が同時に与えられたのです。

先生はいつも、何も書きこまれていない文法書をパタンと机の上に開けたまま、文法書に不足している文法事項の説明を非常に表現豊かに分かりやすく、そして詳細に解説してくださいます。

ある時私は、練習問題で出てきたプラトンの『饗宴』の一部を訳しつつ、ふと、アルキビアデスが「僕はただこの人(ソクラテス)の前だけで恥じるのだ」と告白するくだりを思い出し、理路整然たる解説によって理解へと導いてくださる広川先生の姿を見て、師ソクラテスを慕った人々のことを想いました。

広川先生は、いつも親切にアドバイスしてくださるので、私はギリシア語文法を広川先生から学べてよかったなと、常々思っています。

文法書を終えれば、この春から講読の授業が始まります。広川先生による古典世界への御導きを楽しみにしつつ、見果てぬ遥か昔のギリシア世界に思いを馳せています。

(2009 年2 月M.Y.さん)