山下 太郎
今お山が熱いです。朝から始まる「幼稚園」はもちろん、夕方から夜にかけての「山の学校」も毎日熱気にあふれています。私の担当するラテン語クラスでは、家庭の主婦の方、地元学生・院生、大学関係の教職員の皆さんなどが集まって、キケローやセネカといった古典作品の解釈に挑戦しています。その真剣さは想像を絶するものがあります。
中には片道3時間かけて通ってこられる方もいらっしゃいます。皆さん、忙しい時間をぬってこれだけしっかり予習されているのかと思うと、頭の下がる思いがいたします。私も熱気にほだされてついつい手加減なしに授業しているので、1時間半があっという間に過ぎていきます。
10月からそんなホットな講読のクラス(水曜日)に京大のSくんが入門しました。前川先生に文法を学んだのが今年の4 月から2 ヶ月ちょっと。最短時間で文法を終え、セネカを読んだとのこと。その後、コプト語を習得するため少しお休みをしますとのことでしたが、無事この言語もマスターされ、「今度はキケローに挑戦します」と再び元気な姿を見せてくれたのでした。
金曜日のクラスではセネカを読んでいます。作品は、『幸福な人生について』です。先を急がずにじっくりと進んでいます。前回の授業では、 “praeceperunt veteres optimam sequi vitam, non jucundissimam”(昔の人たちはこう教えている、最も楽しい生活を送るのではなく、最も善い生活を送るように、と)という表現が印象に残りました。
いつの時代も同じなのでしょうか、「楽しければいい、それが道徳的に善であろうとなかろうと」と考えるのは。しかし、セネカは voluptas(快楽)と virtus (美徳)を峻別します。この virtus は勇気という意味も持っています。世の中には、つらくてもやらなくてはならないことがあります。子どもでも知っていることです。それを立派にやり通すとき virtus が発揮されたことになります。
神話に例をとると、ヘラクレスは voluptas と virtus とどちらの道を選ぶか?と岐路に立ったときに、迷わず virtus を試す道を選んだことが知られています。ゼウスの正妻ヘラにとって夫の不倫の子ヘラクレスは憎くて仕方がありません。
しかし、ヘラの与える艱難辛苦のすべてを克服してつかんだ名誉(クレス)が、ヘラクレスの名には刻印されています。つまり、ヘラ+クレス=ヘラクレスというわけです。ちなみにディズニーのアニメ『ヘラクレス』ではゼウスとヘラの子がヘラクレスとなっていて、ギリシアでは自国の文化を侮辱する映画であるとして上映が禁止されました。
現代に目を向けると、先日のニュースで、ヤンキースの松井選手は「迷ったらいつも困難な道を選んだ」とインタビューで答えていました。彼もまた現代における「virtus の人」と言えそうです。セネカを読みながらもつい脱線し、こんな雑談を熱く語ってしまう私です。
(2005.11)