T. Fujita
英語の授業では中学生、高校生とも各一クラスずつ担当させていただいております。
現在、中学校のクラスでは基礎をしっかり身に付けてもらうことを考えて授業を行っています。英語や数学といった勉強は基礎の上に基礎を重ねて積み上げていかなければならないという難儀な性質を持っています。つまり家を建てる場合と同じで、どこか一箇所の組立を間違えてしまえば、その上に積み上げることができなくなってしまうのです。
例えば、一般動詞を使った文を組み立てることができなければ、関係代名詞の用法を理解することができるはずはありません。また、分詞構文というややこしい文法事項がありますが、そのことを理解せずに独立分詞構文というより複雑な事項を理解することはできません。
過去の日本の英語教育は文法偏重型と呼ばれ、「読み書きはできるけど会話ができない」と批判されてきました。しかし、一度会話を偏重し始めて、会話はちょろっとできるけど書いてあるものはまったく読めない、英語で文章を書くなんてもっての外という状態になっては意味がありません。英語を話すということは従来の英作文のスピードを速めた状態と言えます。だからこそ、基礎的文法を大切にしてじっくりと積み重ねていく練習を重視した授業を行っています。
文法的なことと並行して、授業中は細かい発音指導も行っています。日本語を母語として育って、ある程度の年齢に達してしまうと、耳でいくら聞いても英語の発音はうまくなりません。
母語の音声は人間の耳に大きく影響し、ある音とある音とを融合して一つの音のように聞かせてしまうことがあります。よくある例えですが、日本人はL とR の音の区別がつかないと言われます。これは「ラッパ」ということばを「LAPPA」と発音しても「RAPPA」と発音してもまったく意味上の違いがないため脳が同じ音のように聞かせてしまいます。
そこで、まったく同じに聞こえる単語を見様見まねならぬ、聞き様聞きまねで発音したとしても同じように聞こえるはずがありません。そこで、英語を母語とする人の口の動きを専門的に分析した結果を利用して、いかにして同じ音を再現するかにこだわって指導しています。日本語では意味の違いをなさない音の違いでも、英語では重要な違いになりえます。口の形の図解や実演を利用してわかりやすい発音指導に取り組むようにしています。
一通りの基礎的な文法を学習し終えた高校生のクラスでは、読むことを中心に授業を進めています。現在は生徒の希望で、夏目漱石の『こころ』の英訳版を精読しています。
現在の日本の教科書の大部分は、日本人の著者が書いたものをネイティブスピーカーが手直しするという方式で作られています。つまり、英語を書いているのが日本人ということになります。母語でない言語で書かれた文章は一般に読みやすいとされており、英語の教科書も例外ではありません。
しかし、実際に英語を読む場面では、英語を母語とする人によって書かれた文章が多いはずです。Kokoro の著者は日本人ですが、実際に英語を書いている訳者はアメリカ人ですので生の英語に触れることができます。また、英米文学に直接触れようとすると、どうしても英米の文化の理解を欠かすことができず、初期段階では英語力向上の妨げとなってしまいます。
そういう点でも、日本文学ならば障害を最小限に抑えて、英語力のみをネイティブの英語を使って効率的に磨くことができると考えられます。
(2004.7)