2013年度・春学期からの新しいクラスを紹介します。
クラス名 『山の学校ゼミ(数学)』
時間 木曜日、20:10~21:30
講師 福西亮馬
内容 以下の通り
『虚数の情緒』(吉田武著、東海大学出版会)を読むクラスです。
これは1000ページある大書ですが、一度読み始めたら、そんなことをすっかり忘れてしまうほどの情熱に満ちた本です。
(今はまだそうした出版が珍しいことから奇書という範疇なのかもしれませんが、もしこのような熱い本がスタンダードになれば、どんなにか日本の将来は明るいだろうかと思わずにはいられません)。
そしてこの本を読めば、著者の主張である「数学にも血が通っている」ということが、おのずと合点できるのではないかと思います。
数式はむしろ控えめで(電卓を使った数表はよく目につきますが)、演習問題は一切ありません。それなのに、ページをめくるたびに「数学をしたい」と思わされる本です。
(つまり数学のトレーニングをしなければと思っている人にも、その「しなければ」を「したい」という気持ちに変えてくれるような、背中を押してくれる内容となっています)。
数学書で、1000ページがほとんど文章で埋められているという事態は、それだけで驚くべきことかもしれませんが、一読すればその理由は明らかです。というのも、あっちのジャンルからも、こっちのジャンルからも、著者の思いが有機的に結びつき、血が通うように語られているからです。
すなわち、そこには著者の借物や贋物でない、独自の「哲学」が込められています。それゆえに、堂々と、読者と「対話しよう」という声が聞こえてきます。
もともと数学自体、哲学とは切っても切り離せない学問ですが、それだけに、哲学に興味のある人、物事を一面的でなく全体的に理解しなければ気がすまない人にこそ、この本の面白さはむしろ伝わると思います。
一方、「ことごとく書を信ずれば、すなわち書なきに如かず」と言いますが、授業の目的は、この本の内容をあくまで元手(試金石)にして、各自の考えを掘り下げていくことです。そのためにも、まずはこの本を虚心坦懐に音読します。そして行間から湧いてきた疑問を拾い集めながら、日頃の考えを精錬していく、そのように議論し合えればと思います。
数式や数学的な知識については、必要に応じてプリントを配ってフォローしますが、最初の500ページは中学数学の、さらにあと250ページは高校数学の知識があれば十分です。そこから最後の250ページは、著者の筆が走りすぎているきらいがあり、かなりの急坂となります(今から言っておきます)が、大学や大学院で一体どんな数学が待っているのかという憧れを垣間見ることができるものと思っていただければ幸いです。1週間に20~30ページずつ進む予定です。
最後に、これは、この本の序章に書かれていることですが、「数学は積み重ねか?」という疑問に対して、みなさんはどんな考えをお持ちでしょうか。私自身は少し前までは漠然と「そうかな…」と思っていた一人なのですが、しかし著者は、次のように端的な意見を出しています。
「それは室町時代が解らなかったから、江戸時代も解らないのではないか、と恐れるのと同程度の誤解である。それぞれにそれぞれの面白さ深さがある」と。
日本史がそうであるように、もし層ごとの「広がり」や「奥行き」というものが、数学でも(解析や幾何や代数というように)認められるとするならば、それらの積み重ねの必要は、数学といえども他の学問と同程度だということになります。むしろそうした積み重ねに「乗り遅れる」という心配よりも、「いつ火が付くか」(いつどこを切り口にして、その面白さを知るか)ということの方が重要だろうと言えます。
つまり面白さを知る上では誰しも「それを学び始めることに、遅すぎるということはない」ということなのだろうと思います。
以上、長くなりましたが、「百聞は一『読』に如かず」です。ぜひ興味のある方は、この本、『虚数の情緒』を持って山の学校にお集まりください。
(福西亮馬)