40年以上生きてきて、ただの一度も自分から「勉強をしたい」と思ったことはないな、と自信を持って言えるんですが、ここ数年、勉強が楽しいんです。生きていたらこんなこともあるんだなぁ、と自分で驚いています。
「勉強をしてみたい」と思ったきっかけは何個かの要素が重なって今でした。
私は、公園の近くに住んでいるんですが、そこで知り合った中学生がテストで1点やった、と話してくれたことがきっかけでした。英語くらいなら見てあげられるかも、と言って、何度かうちで学校のテキストを見たり、一緒に問題を解いたりしました。だけど、結局、彼女に「勉強って楽しいで」ということは伝えることができず、たった5回ほどうちに来て、それから彼女は来なくなってしまいました。なんとなく、これから学校の授業がわかるようになって、気付いたらテストの点数も上がって、「ありがとう」と言ってもらえることを妄想していましたが、そんなに甘くはありませんでした。何がいけなかったんだろう、と自問自答していたんですが、あ、そもそも、私自身が、勉強嫌いで、勉強楽しい、って思ったことがなかったんだ、ということに思い至りました。自分の子どもにも、「なんで勉強するん?」と聞かれても答えられないのに、「勉強しいや!」と言っている不思議。ちょうど、育児が少し落ち着いて、何か新しいことをやってみたい、と思っていたことと、勉強ってなんでするんやろう?という疑問がちょうど混じりあって、山の学校に通ってみよう、と思ったのでした。
最初は、韓国語を受講するつもりだったのですが、時間が合わなくて、それならば少しでもアドバンテージのある英語で、かつ、英米文学科卒業だから、Dickensの名前は知っているし、坂本先生のSketches by Bozの英語講読を受講してみることにしました。
Sketches by Bozは、Dickensが新聞記者時代に書いた一番最初の作品だそうです。ページをめくると、知らない単語だらけ、which、 that などの関係代名詞で永遠に続く句読点のない文章。まったく読めませんでした。文法も一通りやったと思っていましたが、アドバンテージはゼロに等しいくらい知らないことだらけです。授業では、クラスメイトと順々に、まず音読をして、その後に訳した文章を発表します。ここでは、翻訳というよりは、文法に忠実に、直訳をしていきます。全体の文章を雰囲気で分かったような気持ちになっていたのですが、そうではなくて、訳のわからない文章も、一つずつ、文法に沿って訳していくと、読めることに驚きました。当時の時代背景だけではなく、坂本先生は驚くほど英文法に詳しくて、かつ説明がとても分かりやすいので、毎回授業が終わると発見だらけです。大嫌いだった文法も、「文法がわかれば文章が読める」とわかってからは好きになってきました。実際、文法はきれいだなぁ、もっと知りたいなぁ、と思うようになっています。これは、本当に私の生きてきた世界が変わるような発見です。
私は現在、在宅で仕事をしていることもありますが、メインは子育てといって差し支えのまったくない専業主婦です。その私が、授業料を払ってもらいながら、なんらかの資格を得るためでもない勉強を続けていることは、「贅沢」なことなのかもしれないなぁ、とちょっとした罪悪感を抱くことがあります。実際、今すぐは役に立たないことなのかもしれません。でも、「勉強って楽しいなぁ」と知っている私が、子どもたちに伝えられることは、以前よりも増えているだろうな、とも思っています。週に1度の授業のために辞書を引く時間はしんどいけれど、癒しにもなっています。信じられない!「勉強をする」ということが、日常の中に戻ってきたことはとても懐かしく(昔はいやいやだったけれど)、私のこれからを緩やかに前に動かしてくれる伴走者を得たような気持ちでいます。
まだまだ形容詞と副詞で戸惑ったり、3週間の休みの間、1度も辞書を引くことのない日々を過ごしたりもしていますが、あわよくば、いつか、友人が出版した本を翻訳できる日がくるかもしれない、と夢見たりもしています。大げさかな、大げさかもしれない。でも今現時点でそんなことを思いつけるのも勉強が楽しくて、世界が広がっているからかもしれないです。
(受講生 K.A.さん)