2011年3月12日に開催されました『古典語の夕べ』第2部で配布されたレジュメです。(pdf版)
『ケーベル先生と古典』─You must read latin at least.の意味(講師:山下大吾)
(レジュメより)
先生が我国に来られた頃、痛く我国の学風の軽佻浮薄なるを嫌っておられたように思う。或時私が先生を訪問してアウグスチンの著書の現代語に訳せられたものがないかと尋ねたら、先生は仏蘭西語に訳せられたのがある、しかしなぜお前は羅甸語を勉強せないかといわれた。私は日本の学生が希臘や羅甸の語を学ぶことの困難なることを答えたら、古典語を知らずして西洋哲学を理解しようとする考の軽佻なることを説かれ、お前の同級の某君は希臘語を読むではないか、You must read Latin at least. といわれた。また或時私が生意気にもヘーゲルの哲学について反駁がましいことをいったら、Warum? Warum? といって攻めつけられた。そして屢non multa sed multumといって戒められた。これらの語はいずれも私のためにいわれたものではあるが、当時の日本の学生一般に対して有っておられた先生の考と思う。
──西田幾多郎「ケーベル先生の追懐」
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PS
山下大吾先生担当クラスは以下のとおりです。(2013年11月現在)
ロシア語講読 (木曜日 14:30-25:50)※プーシキン、レールモントフ、チュッチェフの詩
ラテン語初級講読A (水曜日 20:10-21:30) ※キケロー『老年について』
ラテン語初級講読B (金曜日 20:10-21:30) ※ホラーティウス『詩論』
ラテン語初級講読C (日曜日 14:00-15:20) ※キケロー『スキーピオーの夢(国家について)』『義務について』
ラテン語初級文法 (土曜日 10:10-11:20) ※岩波書店『ラテン語初歩(改訂版)』
詳しくはこちらの「山びこ通信」の記事をご覧ください。
資料とビデオまでアップしていただきありがとうございました。
伺えなくて残念でしたが、こうして拝見できて幸せです。
ホラティウスの「青銅より永く耐える~」は引用集で見たことがありましたが、その後は初めて知りました。詩人の誇り高い喜びがひしひしと感じられました。
山下(太)です。大久保様、コメントを有り難うございました。ご覧頂けてよかったです。at least の意味を考えるとき、私は、恩師の岡先生の言葉を思い出します。「ラテン語を学ぶ者はその倍ギリシャ語を学べ、同様に、ギリシャ語を学ぶ者はその倍ラテン語を学べ」というものでした。
その意味で言えば、ヨーロッパの古典語に対し、入り口はギリシャ語でもラテン語でもどちらでもよいと思われます。「少なくとも」どちらかを先に学べばよいわけです。しかし、ケーベル博士の言葉も、岡先生の言葉も、専門家を念頭においての言葉として、やはり学問の厳しさを正直に伝える厳しい言葉であります。むろん真実の言葉であり、美しいと言わざるを得ません。
一方、私はMLでも言っていることですが、<<古典語を学ぶのは素晴らしい、ただ、「少なくとも」古典語に「関心を寄せること」が多くの日本人にとってもっと大切だ>>と主張したく思います。「学べ」と言われて学ぶのでは「関心」をもたないままの人を量産する恐れがあります。
今回の広川先生のお話も、山下大吾先生のお話も、どちらも古典語を学ぶ魅力をそれぞれの先生の仕方で余すところ無く伝えていただけたと感じております。このように、「山の学校」で「古典語の夕べ」を定期的に開催するのは、多くの人に「まず古典語に関心をもってもらうこと」の大切さを思うからです。
そして、少しでも両言語に関心をもった方が、大久保さんのサイト(http://classicalepwing.sourceforge.jp/)をご覧になれば、きっと感嘆の声を上げ、おおいに勇気づけられ、そして、自分もぜひこれらの言語を学んでみたい!と自然と思えることでしょう。