12/2 ことば4年生(A)

高木です。

いよいよ冬学期。M君とT君は寒空のなかを、校舎のある山の上まで登ってきてくれます。
今日は柳曠(やなぎ ひろし)の「山の上で」を朗読しました。

  一つ、日向(ひなた)の山道を、
  二つ、ふたりで行(ゆ)きました。
  三つ、港に蒸気船、
  四つ、よそから着きました。
  五つ、いそいで見に行(ゆ)けば、
  六つ、むこうの青空に、
  七つ、ならんだ白い雲、
  八つ、山家(やまが)のおさの音、
  九つ、ここまで聞えます。
   とんとんからりこ、
   とんからり。
  とおに港も暮れました。

 子供たちには、こうした数え歌は、親しみやすいようでした。一つ、二つ…と続いていくのは、ポンポンとテンポが良く、どこか晴れ晴れとした気持ちになります。その数字と詩句の初音が同じだということに途中で気づくと、M君は小さな声で「そうか」と言い、またT君は「『とおに港も』の『とお』は『十』って意味やで」と言ってくれました。
 一から順番に軽い物語仕立てになっているので、T君とM君はそれぞれ①、②…と番号をふって簡単に絵を描いてくれました。ほとんどの絵には自ずと「人」が登場します。「六つ、むこうの青空に」の絵で、青空の下に人を描いてくれたM君は、「この人が青空を見てる」と言います。港に着いた蒸気船を見に行った人が、むしろその向こうに広がる青空と白い雲に心を奪われる、そんなストーリーラインも、絵を描きながら登場した「人」を介して、スッと理解できるようでした。
 また「おさ(筬)」が機織りで横糸を通す道具だという話をしたとき、先週「軽(輕)」の成り立ちを学んだ際に「自分の家に機織りがある」と言ってくれたT君は、今回も「あ、それ知ってる!」と言って、その姿や使い方などを詳しく説明してくれました。M君と一緒に聴いていると、とても勉強になります。

 詩の後は、今週はアンデルセンの『絵のない絵本』の「第六夜」を読みました。
 オーディン、トール、フレイヤの墓とよばれる、ウプサラの大平原にある三つの丘に、芝草を刈り込んで記された、旅人たちの名前。「新芽がもえでてくれば、またかくれてしまうというのに、かりこませた人たちは永遠に名前がのこる気でいるのだろう。」 今もまた、丘の上に男がひとり立っている。しかしその詩人は、芝を刈らず、ただそっと誰かの名前をつぶやき、「ないしょになと風にたのんでいた。」それを聞いた月は、彼を詩人タッソー(十六世紀イタリアのエステ宮廷詩人)にたとえて称える。
 タッソーはエステ公の妹エレオノーラを愛していました。丘の上の詩人がつぶやいたのは、愛する人の名だったのかもしれません。
 今夜の話はすこし難しかったのですが、それでもM君は、草に記された名前と風にのせられた名前が、すぐに消えてしまうけれど永遠にのこるという意味で、同じものだと言ってくれました。
 またT君は、三つの丘の神々が、どのような神なのかに興味をもったようです。そして文章の脚注にある説明を読んだあとで、こんな質問をしてくれました――「なぜ神は人の形をしているのか」――。難問です。私も分からないので、みんなで一緒に考えてみました。最終的には、それは人が想像するからではないか、という話になりましたが、それではお稲荷さん(狐)が説明できません。答えは出ません。でもそれだけT君の疑問は深いものだったということです。こうした疑問の芽は、将来大きな花を咲かせることでしょう。大事に育んでいってほしいと思います。